瑞原唯子のひとりごと

「オレの愛しい王子様」第18話 ホワイトデー



 三月十四日、放課後の教室はいつもよりこころなしか賑やかだった。
 しかしそれも落ち着き、残っている生徒たちがだいぶ少なくなってきたころ、他クラスまで出かけていた東條が畳んだ紙袋を片手に戻ってきた。そのいかにも疲れたと言わんばかりの表情を見て、翼は軽く笑う。
「お疲れ」
「ああ」
 ホワイトデーということで律儀にも全員にお返しを用意したらしく、今日一日、東條は休み時間になるたびに方々へ渡しに行っていたのだ。放課後までかかってようやく完遂したらしい。
 ちなみに翼は昔からお返しはしないと公言している。それでもいいというひとからしか受け取らない。東條は今朝になって初めてその話を聞いたらしく、ずるい、俺もそうしたかったとうなだれていた。
 同情的なまなざしを向けていると、彼は大きく息をついて自分の席にどっかりと腰を下ろした。すぐにスクールバッグをつかんで帰り支度を始めるが、ふと何かに気付いたように隣に振り向く。
「もしかして俺を待っててくれたのか?」
「ああ、創真がおまえに用があるって言うからさ」
「諫早くんが?」
 驚いた目を向けられ、創真は思わずそっと視線をそらした。
 こんなはずじゃ——本当は、翼がいると気まずいので先に帰ってもらうつもりでいたのに、気付けば一緒に待つことになっていた。どんな用事かと聞かれて言葉を濁したことで怪しまれたようだ。
 こうなってはもう下手に隠し立てをしないほうがいいだろう。腹を括るしかない。何となく気恥ずかしくて何となく後ろめたいというだけで、いけないことをするわけではないのだから。
「これ、お返し」
 スクールバッグから白い小箱を取り出すと、東條に投げる。
 緩やかに放物線を描いたそれを、彼はすこしあわてながらもしっかりと両手でキャッチした。そして箱に箔押しされたブランド名から何であるか察したようだ。
「え、もしかしてバレンタインの?」
「やっぱりもらいっぱなしは悪い気がして」
「うわ、めちゃくちゃうれしい」
 そう言って、本当にうれしそうに破顔した。
 彼に渡したのはチョコレートである。チョコレートのお返しにチョコレートというのも芸がない気はするが、何もないよりはいいだろう。バレンタインにもらったものと同等くらいの品を選んだつもりだ。
「ちょっと待て」
 ふいに困惑したような焦ったような声が割り込んできた。振り向くと、翼がうっすらと訝しげに眉をひそめて東條を睨んでいた。
「僕は何も聞いてなかったんだが」
「おまえに報告する義務はないだろう」
「創真にチョコをあげたのか?」
「ああ、諫早くんにだけな」
「……創真のことが好きなのか?」
「だとしたら?」
 東條は挑発するように口元を上げる。いつものように応酬を楽しんでいただけなのだろうが、なぜか翼は真に受けてしまったようだ。とても静観などしていられず創真はあわてて口をはさむ。
「おい、変な悪ふざけはよせ」
「嘘は言ってないけどな」
 いたずらっぽい笑みを浮かべつつ東條はそう言い返してきた。完全にこの状況を面白がっている。創真は小さく溜息をついて咎めるように彼を睥睨したあと、翼に視線を移して釈明する。
「友達としてってことだからな。ただの友チョコだし」
「友チョコ……ああ……」
 その言葉はさすがに翼も知っていたようだ。ただ、女子どうしでやっているイメージが強いので、創真と東條には結びつかなかったのかもしれない。まだどこか疑わしげな顔をしている。
「翼はたくさんもらうだろうし、俺からのなんていらないんじゃないかと思って、諫早くんにだけ用意したんだよ。男どうしであんまりやらないって知らなかったし」
「そういうことか……」
 東條のフォローを聞いてようやく納得することができたようだ。いまだに微妙な面持ちはしているけれど——それでもひとまずおかしな誤解は解けてよかったと、創真は安堵の息をついた。

「じゃあ、またあしたな」
 いつものように校門前で東條と別れて、翼と帰路につく。
 ふたりとも無言だった。いつも話を振ってくる翼も今日はなぜかおとなしい。しかし住宅街に入ってまわりに誰もいなくなると、唐突に口を開いた。
「お返し、桔梗姉さんにも用意してるんだろう?」
「えっ……ああ、一応……帰りに寄っていこうかと思ってる」
「そうか」
 お返しをすることで変に期待させてしまう心配もあるが、もらいっぱなしにもできないので、東條に渡したチョコレートと同じ種類のものを用意した。それでもわざわざ家にまで行くのは気が重い。
「本当は学校でこっそり渡せたらよかったんだけど」
「いや、もしまわりに知られたら大騒動になりかねないぞ」
「だよなぁ」
 桔梗は昔から誰にもバレンタインのチョコレートを渡していない。本命はおろか義理チョコも友チョコも。それなのに創真がもらっていたなんて知られたらどうなるか、考えるだけでも恐ろしい。
「まあ、姉さんは外堀を埋められて喜ぶだろうけどな」
 翼はそう毒を吐くが、何となく想像がついてしまって創真も否定できなかった。
 ただ、どうして自分なのかはいまだにさっぱりわからない。気に入ってるだの買っているだの言われても、とてもじゃないが鵜呑みにすることなんかできなかった。

「こちらでお待ちくださいませ」
 創真は軽く会釈して、案内された応接間のソファに腰を下ろした。
 本当は玄関先で渡すだけにしたかったのだが、桔梗を呼んでほしいと使用人に伝えたところ、問答無用で応接間まで案内されてしまった。そうするよう桔梗に言いつかっていたのだろう。
「いらっしゃい、創真くん」
 ほどなくして桔梗が入ってきた。
 すでに私服に着替えている。クラシカルなロングのフレアワンピースというお嬢様らしい格好だ。軽やかながら品のある所作で創真の正面に腰を下ろすと、どこか申し訳なさそうな笑みを浮かべる。
「うちに上がるのは久しぶりかしら」
「そうですね……」
「その機会がなくなったものね」
 桔梗が西園寺を継ぐと決まり、翼は後継者になるために受けていた教育をやめてしまった。父親には続けても構わないと言われたものの断ったという。それゆえ同席という立場の創真も必然的にやめざるを得なかったのだ。
 もっともそのことについては特に何とも思っていない。新たに翼を支えるために必要なことを模索するだけだ。これからもずっと翼に寄り添っていくつもりでいるし、一緒に人生を歩めたらと思っている。だから——。
「これ、バレンタインのお返しです」
 雑談を切り上げるように早口でそう言いながら、すぐに取り出せるように準備していた小箱をローテーブルの上に置いて、立ち上がる。
「待って!」
 凜とした声で呼び止められると、まるで魔法にでもかかったように足が動かなくなってしまった。そんな創真をまじろぎもせずまっすぐに見つめたまま、桔梗はすっとソファから腰を上げる。
「西園寺の事情にここまで巻き込んでしまって、創真くんには本当に申し訳ないと思っているわ。でもこのままではあきらめがつかないの。だから……お願い、一日だけあなたの時間を私にちょうだい」
 その言葉に、その声に、いつも堂々としている彼女らしからぬ切実さがにじんでいた。漆黒の瞳もこころなしか潤んで揺らいでいるように見える。無視して背を向けることなどできなかった。
「……どういうことですか」
「私と過ごして、私を知ってほしいの」
「オレの気持ちは変わらないと思います」
「それならそれであきらめがつくわ」
 彼女の言い分もわからないではなかった。幼いころから面識があるとはいえ一緒に過ごした時間はそう多くない。なのに自分のことを知ろうともせず拒絶されたら納得できないだろうし、あきらめもつかないだろう。
 まあ、桔梗さんのほうが幻滅するかもしれないし——。
 そもそも彼女だって創真のことはたいして知らないはずである。気に入っているだなんて勝手な幻想を抱いているとしか思えない。一日一緒に過ごしてみたら現実が見えてくるのではないだろうか。
「わかりました」
 挑むようなまなざしで見つめ返してそう答えると、桔梗は小さく息をついた。その顔にはにかむような笑みが浮かぶ。それを見て、創真の胸にほんのすこし罪悪感のようなものがよぎった。

「お疲れ」
 応接間を出ると、壁にもたれながら口元を上げて腕を組んでいる翼がいた。コートは脱いでいるが制服のままである。その落ち着いた様子からもいま来たばかりには見えない。
「どうしたんだ?」
「桔梗姉さんに襲われていないか心配してた」
「そんなことあるわけないだろう」
「だが揉めているような声が聞こえてたぞ」
「ああ……」
 話の内容までは聞き取れなかったのだろう。すこし迷ったが、隠しきれるものでもないので正直に話すことにした。
「今度、桔梗さんと一日だけ一緒に出かけることになった。自分のことを知ってほしいって頼まれて、それで納得してくれるならと思って」
「そう、か……」
 目を伏せる翼を見て、創真は自分が落胆したことを自覚する。
 行くな——そう言ってくれることを無意識のうちに期待していたのだ。ありえないということくらいわかっているはずなのに。そもそも桔梗との結婚を真剣に考えるよう促したのは翼なのだから。
 そこはかとない寂しさを感じながらも顔に出さないようにしていると、ふいに翼が腕組みを解き、その下に隠し持っていた白い箱のようなものを軽く放り投げてきた。創真はあわてて両手で受ける。
 えっ、まさか——。
 白い箱には控えめな水色のリボンがかかっていた。今日という日から考えて思い当たることはひとつしかないが、とても信じられず、当惑したまま答えを求めるように翼に目を向ける。
「中身はマカロンだ。ただのお返しでそれ以上の意味はないからな」
「でも、お返しはしないんじゃ……」
「そこらへんの女子と同じ扱いをしたら怒るだろう?」
 翼はいたずらっぽく肩をすくめて言う。
 それはかつて自分がぶつけた言葉を引き合いに出しての揶揄だ——創真はぶわりと顔が熱くなる。いたたまれない気持ちになる一方で、自分の言葉をきちんと受け止めてくれていたことをうれしくも感じていた。
「ありがとう……」
「ああ」
 うっすらと笑みを浮かべる翼を目にして、創真の表情もゆるむ。
 そのとき——扉ひとつ隔てたすぐそこに桔梗が立っていたことにも、彼女がふたりの会話を黙って聞いていたことにも、創真は気付いていなかった。



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