瑞原唯子のひとりごと

「遠くの光に踵を上げて」第61話 潜在能力

 コン、コン――。
 魔導省の塔。その最上階の一室がゆっくりとノックされた。それに続き、若い男の声が、固く張り上げられた。
「カイル=ハワードです」
「入りたまえ」
 机に向かい書類を眺めていたサイファは、手を止めず静かに答えた。
 一拍ののち、おずおずと扉が開き、カイルと名乗った男が入ってきた。彼は、サイファと同じ濃青色の上下を身につけていた。緊張した面持ちで一礼すると、背筋をすっと伸ばした。そのまま息を止め、次の言葉を待つ。
「君は魔導、医学、工学のいずれにも通じているそうだな」
 サイファは顔を上げ、まっすぐカイルの瞳を見つめた。彼の顔はたちまち上気した。
「はい。すべてアカデミー終了程度です」
「君には今日一日、私と行動をともにしてもらう」
「えっ?」
 思いがけない指示に、カイルは目を見開いて聞き返した。サイファはきびきびと端的に説明を始めた。
「アカデミー魔導全科で、対戦型 VRMを使用し試験を行うことになっているのだが、その VRMの設定と試験の監視を我々が行う」
 カイルは頬を赤らめたまま、ぱっと表情を明るくした。
「はいっ! 光栄です! 頑張ります!」
 鳶色の瞳を輝かせ、力を込めて畳み掛けるように答えた。
 サイファは二枚の書類を差し出した。
「私が作った設定案だ。確認をして、問題があれば指摘してほしい」
 カイルは前に進み、両手で受け取ると、その紙に視線を落とした。赤みがかった茶髪がさらりと頬にかかる。先ほどとは別人のような真剣なまなざしで、ひとつひとつ丁寧に、しかし素早く目を通していった。
「リミット値が若干低めですが、アカデミー生が対象なら妥当な線でしょう。問題はありません」
 そう言って顔を上げ、サイファに書類を返した。
「よし、これで行くとしよう」
 彼は、受け取った書類をファイルにはさみ、小脇に抱えた。
「これから実機に設定をしに行く。ついて来い」
「はい」
 颯爽と歩くサイファの後ろを、カイルは小走りでついていった。

 サイファたちは、アカデミー校舎の隅にある、ヴァーチャルマシンルームへと足を進めた。そこには VRMの白いコクピットがずらりと並んでいた。人間どうしの対戦用ではなく、コンピュータが相手をするものだ。そのうちのいくつかは蓋が閉じていた。まだ始業前だが、生徒が自主訓練をしているらしい。
 ふたりはその間を突っ切り、奥の扉へとやってきた。普段は鍵がかかっていて、立ち入りが禁止されている場所だ。しかし今日は鍵が外れている。サイファは扉を開け、薄暗い部屋へと踏み入った。カイルもすぐあとに続いた。
「遅いぞ」
 狭い部屋の奥で、腕を組んだラウルが待ち構えていた。彼の両隣にはコクピット、頭上には大きな薄型ディスプレイが架かっている。サイファはにっこりと笑顔を見せた。
「そう時間はかからないよ。優秀なパートナーが一緒だからな」
 カイルは後ろで嬉しそうに頬を紅潮させた。前に一歩踏み出し、ラウルを見上げた。
「カイル=ハワードです。よろしくお願いします」
 礼儀正しく挨拶をすると、深々とお辞儀をした。しかし、ラウルは冷たく一瞥しただけで、背を向け歩き出した。
「いつもああだ。気にするな」
「はい……」
 サイファは落ち込むカイルの肩を軽くたたき、ラウルの後に続いた。カイルもしょんぼりしながら、その後についていった。
 三人は、奥にある小さめの扉をくぐり、さらに狭くて暗い部屋へと進んだ。数人がやっと入れるくらいの広さだ。窓はなく、上に小さな電球がひとつあるだけである。部屋の中央には、古めかしい傷だらけの木机が幅を取っていた。その上には旧式の厚ぼったいモニタが鎮座している。机もモニタもまだらに埃を被っているが、画面部分だけは丁寧に拭かれているようだ。向かいには、薄汚れた二人掛けのソファが、取ってつけたように置かれていた。
「急ごしらえだが、一応モニタールームだ。ここで我々が監視を行う」
 サイファはソファの背もたれに手を置いた。
「生徒たちに重圧を与えることのないよう、我々は姿を見せない。いいな」
「はい」
 カイルはうなずきながら返事をした。サイファは、ラウルに振り向き尋ねた。
「設定もここで出来るのか?」
「ああ、そうしておいた」
 ラウルは木机の下の棚からキーボードを取り出し、モニタの前に置いた。サイファは、手にしていたファイルをカイルに渡した。
「設定の方法はわかるか?」
「はい。何度かやったことがありますので」
「では、君に任せるよ」
「はいっ!」
 カイルは顔を輝かせて歯切れよく返事をした。ファイルを机の上に広げ、モニタの電源を入れると、立ったまま中腰でキーボードを打ち始めた。なめらかに動く彼の指とともに、キーボードが軽快な音を立てる。それに連動するように、モニタではウィンドウが次々と開いては消えていった。

…続きは「遠くの光に踵を上げて」でご覧ください。

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