瑞原唯子のひとりごと

「遠くの光に踵を上げて」第84話 遠くの空と冷たい床

「ここだと思ったわ」
 突然、頭上から降ってきた声に、ジークは驚いて顔を上げた。
 そこにはセリカが立っていた。にっこりと微笑み、ジークの向かいに座る。
「おまえ、何しに来たんだよ」
 ジークは彼女を睨み、広い机の上に散乱した本や書類を掻き寄せた。山となったそれらを隠すように、両腕で覆う。
 セリカはその様子を見て、寂しげに笑った。
「手伝うわ、それを読むの」
「帰れよ」
 ジークは冷たく撥ねつけた。
「きっと役に立てるわ」
「なんでそうおせっかいなんだよ。いらねぇって言ってんだろ」
「だって、知ってしまったんだもの。こんな中途半端なところで引けない。それに……」
 セリカは一瞬、躊躇した様子を見せたが、すぐに強い語調で言った。
「あなたのためじゃない、アンジェリカのためよ」
 真剣なまなざしを、まっすぐ彼に向ける。
「少しは罪滅ぼしさせて」
 ジークは怪訝に眉をひそめた。彼女の言う罪滅ぼしとは、アンジェリカを刺したことに対するものに違いない。なぜいきなりその話を持ち出してきたのだろうか。本気でそう思っているのだろうか。それとも、こう言えば断られないと思ってのことだろうか――。彼女の本心はわからない。だが、少なくとも軽い気持ちでないだろうことは、その表情から察しがついた。
 ジークはしばらく迷っていたが、気難しげにため息をつくと、書類から腕をどけ、椅子の背もたれに身を預けた。そして、腕を組みながら、タイトルを黒塗りにされた表紙を目線で指し示した。
「それ、読めよ」
 セリカは安堵したように息をつき、こくりと頷いた。

 そこはアカデミーの図書室だった。休日の午前という時間のためか、人の姿はほとんどなく閑散としている。あたりはとても静かだった。耳につくのは、ときおり聞こえる廊下を行き交う靴音くらいである。
 マーティンから手に入れた論文を読むために、ジークは早朝からここへ来ていた。関連書を片っ端から調べつつ解読しようとしていたが、思うように進まなかった。ただでさえ最先端の研究である。医学などかじったことすらない彼にとっては、無謀な挑戦と言わざるを得ない。なので、実際のところ、彼女の申し出はありがたかった。ただ、サイファが関わっていると聞き、反射的に誰にも知られてはならないと意固地になっていたのだ。無意識に彼を庇おうとしたのかもしれない。

 セリカは論文を手にとると、無言で読み進めた。何時間も休むことなく、ひたすら読み続けた。昼食すらとっていない。ジークも目を通してはいたが、彼女ほど集中力が持続しなかった。魔導書であればいくらでも読み続けられるが、専門外のものでは行き詰まってばかりで疲れ方が違う。休憩をとらずにはいられなかった。何度となく窓の外を眺めたり、本を探すふりをして歩きまわったりした。

「なるほどね」
 セリカは唐突にそうつぶやくと、ため息をつきながら論文を閉じた。
「確かにこれは都合が悪いわ。隠蔽するのも無理ないかも」
「わかったのか? 書いてあること」
 ジークははっとして身を乗り出すと、早口でせっつくように尋ねた。
「大まかにはね」
「もったいつけてねぇで教えろよ」
 セリカは表情を引き締めた。そして、まっすぐに彼を見据えると、しっかりとした口調で話し始めた。
「簡単にいえば、近親者どうしでの婚姻を繰り返すと、遺伝子疾患を起こしやすくなるってことね」
「それって、ラグランジェ家……」
 ジークは眉根を寄せ、つぶやくように言った。
 セリカは彼から目をそらさず、小さく頷いた。
「そう、この論文は、ラグランジェ家があと数世代のうちに滅びる可能性を示唆しているのよ」
「でも、ラグランジェ家がそうやってきたのは、強い魔導力を維持するためだったんだろ?」
 ジークは釈然としない顔で、首を捻りながら尋ねた。
「だから、彼らのやってきたことが否定されてるってわけ。確かに、魔導力のことだけを考えるならば、優秀なラグランジェ家どうしで子孫を作っていくのは間違いじゃないけど、生物学的には良いことではなかったのよ」
 セリカはうつむき加減に頬杖をつき、小さくため息をついた。浮かない様子でひとり物思いに耽っている。だが、ジークの理解は追いつかなかった。少しきまり悪そうに頼む。
「もう少しわかるように説明してくれねぇか」
「あ、ええ……」
 セリカは頬杖を外し、思考を巡らせた。そして、軽く握った手を口元に添えると、ゆっくりと話し始めた。
「つまりね……一族の中だけで婚姻を繰り返すと、みんな遺伝子的に似てくるのよ。強いところはより強くなるけれど、弱い部分はより弱っていくの。ラグランジェ家は二千年近く続けてきたんだから、そうとう遺伝子に綻びがきているはず」
 ジークは机にひじを立て、額を掴むように押さえた。苦しげに顔をしかめる。
「その綻びが表面に現れたのが、アンジェリカなのか」
「そうかもしれない。そういう例は書かれていないけど……」
 セリカは顔を曇らせ、控えめに言った。
「あいつら……ラグランジェの奴らは、アンジェリカを必要だって言ってたぜ。遺伝子の病気とかだったら必要なわけねぇだろ」
 ジークは必死に反論した。
 セリカは下を向いた。困ったように眉根を寄せる。考えついたことを言うべきかどうか迷っていた。ジークの神経を逆なでするだけかもしれない。でも、自分では正しい可能性の方が高いと思っている。だったら、やはり言った方がいいのではないか。いや、言うべきだ――。ためらいつつも、小さな声で言う。
「治療方法を見つけるための実験台にするつもりかも……」
 冷静な推論だった。だが、ジークにとっては冷酷すぎる話だった。呆然と目を見開いたまま、固まっている。
「……ジーク?」
 セリカが心配そうに呼びかけると、彼は弾けるように立ち上がった。机に散乱した書類を掻き集め、鞄の中に放り込む。そして、その鞄を乱暴に引っ掴み、戸口へ向かって早足で歩き始めた。
「待って!」
 セリカは机に手をついて立ち上がり、慌てて呼び止めた。
「おまえはもう帰れ」
 ジークは背を向けたまま、つれない言葉を返した。しかし、彼女は引かなかった。
「私も行くわ。ここまで付き合ったんだもの」
「ここからは俺ひとりでやらせてくれ。頼む」
 ジークは低く押し込めた声で懇願した。その声には激しい感情と強い決意が滲んでいた。
 セリカは何も言えなくなった。きゅっと口を結び、目を伏せた。
「……今までいろいろ助かった。いつか、礼はする」
 ジークは振り返らずにぼそりと言った。
「楽しみにしているわ」
 セリカは、彼の背中に、精一杯の笑顔と明るい声を送った。

…続きは「遠くの光に踵を上げて」でご覧ください。

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コメント一覧

卯の花
はじめまして
http://blog.goo.ne.jp/horn531/
はじめまして、

続きがきになります・・・時間のあるときに続きをよませていただきたいですw

私も小説をかいているのでよければいらしてください
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