瑞原唯子のひとりごと

「機械仕掛けのカンパネラ」第7話 積み重なる疑惑


「おかえりー」
 ダイニングテーブルに教科書や参考書を広げて勉強していた七海は、玄関の開く音が聞こえて拓海がリビングに入ってくると、待ち構えていたように明るい笑顔を向けて声をかけた。
 ああ、と彼は若干の疲れをにじませて応じると、コンビニの袋をテーブルの端に置いて自室に向かい、ビジネスバッグだけを置いてすぐに戻ってきた。いつもと何ら変わりのない彼の様子にひそかに安堵する。

 あのあと武蔵には最寄り駅からふたつ手前の駅まで送ってもらい、そこから電車に乗って帰った。家に着いたのは日が沈みかけるころである。後をつけられていないか何度も周囲を確認したが、そういう気配はなかったので大丈夫だろう。
 できれば、父親の敵に会ったことは内緒にしたい。
 黙っていれば、拓海は外出したことさえ気付かないはずだ。ましてどこで誰と会ったかなどわかりようがない。それでも尋ねられたときのために一応の筋書きは用意した。まるきりの嘘ではないというのがミソである。
 心配なのは愛用の拳銃をとられてしまったことだ。さすがにこればかりは説得力のある言い訳が思いつかない。ただ、拳銃はたくさんあるので、ひとつくらいなくなっても気付かないかもしれない。それに望みをかけるしかないだろう。

 七海が勉強道具を片付けているあいだに、拓海は向かいに座り、コンビニの袋から大きめの容器をふたつ取り出した。そのうちのひとつを七海に手渡す。大好物のミートソーススパゲティだ。熱いというほどではないがまだ十分にあたたかい。
「どうした? いつもなら大喜びするのに」
「喜んでるよ!」
 拓海に尋ねられ、七海は慌ててはしゃいでみせる。
 いつもは受け取るなり目を輝かせて大喜びするのだが、今日は武蔵の家で食べたスパゲティのことをふと思い出し、ぼんやりしてしまった。不審に思われて追及なんかされたらまずい。いつもどおりにしなければとあらためて気を引きしめる。
 拓海はジャケットを脱いで椅子の背もたれにかけ、ネクタイを緩めながら、七海がパッケージのビニールを破いて蓋を開けるのをじっと見ていた。まるで不審な様子がないかを探るかのように。しかし七海はあえて無邪気に気付かないふりをした。
「いただきます!」
 使い捨てのプラスチックのフォークで、たっぷりソースを絡めたスパゲティを口に運ぶ。七海の大好物はいつもと変わらない味でおいしかった。けれど――武蔵の作ったものの方が何倍もおいしいと思ってしまった。
 拓海の前でこんなことを考えているとまた訝られてしまう。わかってはいるが、いまさら意識しないようにするのもなかなか難しい。せめて表情には出ないよう、いつも以上にはしゃぎながら笑顔を作ってごまかした。

「七海、勉強はちゃんとしているのか?」
「うん、してるよ」
 食事を終えてペットボトルのお茶を飲んでいると、拓海が話を振ってきた。正直、今日は夕方まで外出していたので時間はだいぶ少ないが、一応勉強したので嘘ではない。そう思いつつも内心すこし気まずく感じていた。
 そんな七海を、拓海は片手でペットボトルを持ったままじっと見つめる。
「今度、抜き打ちテストをするからな」
「抜き打ちテスト?」
「点数が悪ければ射撃場出入り禁止だ」
「そんなぁ!」
 七海はガタリと立ち上がり、テーブルに両手をついて勢いよく前のめりになる。
「あの男を殺さなきゃいけないのに!」
「だったら、ちゃんと勉強すればいい」
「勉強してても点数悪いことあるよ!」
「結果が出なければ意味がない」
 返す言葉を見つけられず、七海はギリと奥歯を噛みしめてうつむいた。テーブルについた自分の小さな手を見つめながら、爪が食い込むくらいに握っていく。
 拓海は静かにペットボトルを置いた。
「七海、おまえに勉強させるのは生きていくために必要だからだ。決して意地悪しているわけじゃない。わかるな?」
「うん……」
 いつも言われているので、彼がそういう考えだということはわかっている。そして七海も彼が言うならそうなのだろうと納得している。だから気が進まないなりに勉強してきたつもりだ。
 しかし、今回だけは射撃場を使わせないための方便ではないだろうか。だとしたら抜き打ちテストも卑怯なくらい難しいかもしれない。あの手この手で復讐どころではない状況に追いやられそうな気がする。
 こうなったら、テストの前に終わらせるしかない――。
 あしたにでもさっそく武蔵に連絡をとって会いに行こう。もちろん拳銃を持って。使い慣れたものは橘家で奪われてしまったが、同じ型の拳銃はまだあったはずだ。使用感がすこし違うかもしれないが何とかなるだろう。
「どうした?」
「ん、テスト頑張らなきゃって思ってただけ」
 怪訝な拓海の声に、七海はとっさにニコッと笑ってそうごまかした。

「おやすみなさーい」
 シャワーを浴びて歯磨きをしてリビングに戻ってきた七海は、ダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいる拓海に軽く挨拶をして、自室に向かう。
「七海」
 その声に足を止めて振り向くと、拓海が無表情でブルゾンとキャップを差し出してきた。帰ってすぐに脱いでラグの上に放置していたものだ。
「脱ぎ散らかすなと言っているだろう」
「ごめんなさい」
 トトトと小走りで受け取りに行ったが、彼は手を放さず、じっと七海の目を見つめて尋ねる。
「今日、どこかに出かけたのか?」
「うん、二駅向こうのコンビニまで」
「何か買うものがあったのか?」
「どら焼きが食べたくなっただけ」
「そうか」
 七海はどきどきして手に汗がにじむのを感じたが、ブルゾンとキャップから彼の手が放れると、信じてもらえたのだとひそかに安堵の息をついた。念のため嘘の筋書きを考えておいて良かったと心から思う。
 筋書きは自然なものだったと自信を持っている。近所の店には行かないよう拓海に言いつけられているので、いつも何駅か離れたところまで出かけているのだ。今日は武蔵にバイクでその駅まで送ってもらったあと、実際にコンビニでどら焼きを買って帰ったのだから矛盾もない。
「じゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
 七海は受け取ったブルゾンとキャップを抱きかかえ、自室へ駆けていった。

 煌々とした蛍光灯の下。
 ひとりになった拓海は握っていた左手をゆっくりと広げた。手のひらにはボタンよりやや大きいくらいの黒い物体が載っている。七海の脱ぎっぱなしのブルゾンを手にとったとき、偶然内ポケットに貼り付けられたそれに気付いて取っておいたのだ。
 拓海はそれが何なのかを知っている。
 無表情のまま、まだ熱い飲みかけのコーヒーの中にぽちゃんと放り込む。静かに揺らぎながら沈んでいく黒い影を見下ろすと、わずかに眉をひそめ、テーブルに置いた手をゆっくりと握りしめていった。





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