セリカは小走りで駆け寄ると、申しわけなさそうに両手を合わせた。
「いや、呼び出したのは俺の方だし」
ジークは椅子に座ったまま、淡々と答えた。
そこはアカデミーの食堂だった。全面ガラス張りの窓から柔らかい光が降り注ぎ、白いテーブルを眩しく照らしている。終業後のため、それほど人も多くなく、落ち着いたざわめきが穏やかに広がっている。
セリカはジークの向かいに座った。膝の上に鞄を載せると、上目遣いに彼を見た。視線を落としたまま、じっと何かを考え込んでいるように見える。何となく、声を掛けるのが躊躇われた。沈黙が続き、気まずい空気がのしかかる。
ジークは突然、立ち上がった。
「何か飲むか? 奢る」
ちらりと彼女に視線を流し、無愛想に尋ねる。
「あ……じゃあ、コーヒー」
「わかった。待ってろ」
そう言うと、ジーンズのポケットに右手を突っ込み、カウンターへと向かった。
セリカは身を乗り出して振り返り、訝しげに彼の後ろ姿を眺めた。
しばらくして、ジークは紙コップをふたつ手にして戻ってきた。ひとつをセリカの前に置き、席に着く。
「リックには内緒にしてきたか?」
「ええ……でも、なんだか悪いことしているようで落ち着かないわ。何なの?」
セリカは眉をひそめて尋ねた。
「心配かけたくねぇだけだ」
ジークは素っ気なく答えた。しかし、それは彼女が聞きたかった答えではなかった。不満そうなまなざしを彼に向ける。
ジークはコーヒーを口に運び、一息つくと話を続けた。
「おまえ、医学科だろ? 遺伝学とかそっち方面に詳しい人を知ってたら、紹介してほしいんだ」
「それって、アンジェリカの関係で?」
セリカは身を乗り出し、声を低くして尋ねた。
「ああ、少しでも手がかりを見つけねぇと」
ジークは眉根を寄せうつむいた。そのままじっと考え込む。
セリカはわずかに顔を曇らせた。
「言っても無駄でしょうけど、あまり深入りしない方が……」
「あいつは自分の人生を懸けて俺を救ってくれたんだ。今度は俺があいつを救う番だ」
ジークは机の上で手を組み、思いつめたように言った。怖いくらい真剣な顔だった。
セリカは何か言いたげに彼を見つめていたが、やがてあきらめたように小さく息をついた。
「わかったわ。じゃあ、私の元担任の先生に連絡をとってみる」
「元担任? 医学科は持ち上がりじゃねぇのか?」
ジークは不思議そうに尋ねた。アカデミーでは4年間ずっと同じ先生がひとつのクラスを受け持つものと思っていた。少なくとも魔導全科ではそうである。
「基本はそうだけど、先生の都合でね。本業の研究が忙しくなって、辞めてしまったの」
「自分勝手なヤツだな」
「仕方ないわよ。予定が変わっちゃうことだってあるでしょう?」
セリカは肩をすくめた。
「そいつが遺伝の研究をしてるんだな」
ジークは本題に戻り、念押しした。セリカはこくりと頷いた。
「ええ、第一人者らしいわよ」
「頼む」
ジークは頭を下げた。セリカは驚いて目を見開いた。彼が自分に頭を下げるなど、想像もしなかった。それだけ必死であるということだろう。
「任せて」
彼女は力強く答えると、にっこりと笑って見せた。
「それじゃ、また連絡するわね」
「ちょっと待ってくれ」
立ち上がろうとしたセリカを、ジークが慌てて引き止めた。
「何? まだ何かあるの?」
「ラグランジェ家について聞きてぇんだ」
「そういうことなら、包帯の子に聞いた方がいいんじゃないの?」
セリカはさらりと言った。
ジークはぴくりと眉を動かした。ユールベルのことはおそらくリックに聞いたのだろう。どの程度、知っているのかわからなかったが、それを尋ねようとは思わなかった。
「必要ならあいつにも聞く。今はおまえに聞いてるんだ」
ぶっきらぼうにそう言うと、腕を組み、椅子にもたれかかった。
セリカは彼の態度に困惑した。何が彼の気に障ったのかわからなかった。少しびくつきながら答える。
「え、ええ、わかったわ。でも、ここじゃちょっと……」
「外、歩きながらならいいか?」
ジークは親指で窓の外を指し示した。仏頂面はまだ崩れていない。
「ええ」
セリカは神妙にこくりと頷いた。
ジークは残りのコーヒーを一気に流し込み、立ち上がった。
…続きは「遠くの光に踵を上げて」でご覧ください。
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