サイファはいつものように人なつこい笑顔を浮かべると、塀に寄りかかったまま軽く右手を上げた。昼下がりの強い陽射しを浴び、濃青色の制服がよりいっそう鮮やかに見える。当たり前のように佇んでいるが、ここは王宮ではなくレイチェルの家の前である。
「こんなところで何をしている」
「ラウルを待っていたんだよ」
家庭教師であるラウルがこの時間にここへ来ることは、サイファは当然ながら知っていることだ。だが、これまで医務室に来ることはあっても、王宮の外で待ち伏せされたことはなかった。わざわざ仕事を抜けて来るほどの用件なのだろうか。
ふと三日前のことが頭をよぎる。
だが、すぐにその考えを自分で否定する。あのことについては、レイチェルには口止めをしておいた。その理由はわかっていないようだったが、誰にも言わないことについてはとりあえず承諾してくれた。彼女がそう簡単に約束を破るとは思えない。第一、サイファがそのことを知っているとしたら、こんな笑顔でラウルの前に立っていないはずだ。
「レイチェル、良く出来ていただろう?」
サイファは口もとに薄い笑みを乗せて言う。
ラウルの眉がピクリと動いた。
それがテストのことだというのはすぐにわかった。そして――。
「……おまえが教えたのか」
「一週間もあったから余裕だったよ」
サイファは明るい笑顔を見せる。
「仕事はどうした」
「家庭の事情ということで、早く帰らせてもらったんだ」
ラグランジェ本家の次期当主が「家庭の事情」と言えば、表立って咎めることなど誰にも出来ないだろう。サイファはそのことをよく理解している。その上で、あえてその言葉を選んでいるのだ。利用できるものは遠慮なく利用するというのが彼の考えである。
「レイチェルがめずらしく真剣に頼んでくるから断れなかったんだよ。まあ、僕としても、レイチェルに頼りにされて嬉しかったんだけどね。それに、家庭教師気分を味わえてなかなか楽しかったよ」
サイファはくすっと笑うと、少し真面目な顔になった。
「だが、少し気になってな」
「何だ」
「教えてもいない章から出題するなんて、ラウルらしくないからさ」
サイファは鋭いところをついてきた。
「僕は絶対に出ないって言ったんだけど、レイチェルは絶対に出るって言い張ってね。まあ、勉強するのは悪いことじゃないし、それでレイチェルの気が済むのならと思って教えてあげたんだけど、テストを見せてもらったら本当にそこから出題されていたから驚いたよ」
ラウルは眉根を寄せた。
「おまえのせいで魔導を教える機会をふいにした」
「どういうことだ?」
サイファはきょとんとして尋ねる。
ラウルはテストの目的について説明する。もちろん、レイチェルの提示した条件については触れなかった。もともと後付けの条件であるため、それを言わなくとも話が不自然になることはない。
「それであんなに必死だったわけか……」
サイファは素直に納得したようだった。腕を組みながら難しい顔で言う。
「魔導は徹底的に嫌がっているからなぁ」
「おまえさえ余計なことをしなければ、上手くいったはずだった」
ラウルは感情のない目で見下ろした。知らなかったこととはいえ、結果的にサイファが大切な計画を妨害したことになるのだ。そして、レイチェルの無邪気な裏切りを手助けしたことにもなる。それも彼自身に対する裏切りを――。そのことはまだ知らない。いや、今後も知ることはないだろう。
サイファは眉をひそめて睨み返した。
「あのなぁ、そんな浅はかな手を使うからいけないんじゃないのか? 家庭教師のやることじゃないぞ。ラウルにしてはあまりにも粗末だな。こういうことについては、レイチェルのためにも、正面からきちんと説得するのが筋だと思うけどね」
「説得は何度も試みたが、了解を得られなかった」
ラウルの胸に苦々しい思いがわだかまる。サイファの主張がまぎれもない正論であることはわかっている。だが、理想どおりにいくものではない。レイチェルを説得できないとなれば、別の方法をとるしかないと考えたのだ。いつまでも先延ばしにするわけにはいかないのである。
「なら、切り札を使うか?」
サイファは上目遣いでそう言うと、片方の口の端を上げた。
「何だ」
「僕ならレイチェルを説得できる」
ラウルは僅かに目を細め、冷たい視線を送った。
「たいした自信だな」
「彼女は僕の言うことなら何でも聞くからね」
サイファは当然のように言う。そのことがラウルの癪に障った。ムッとして言い返す。
「だったら、さっさと説得していれば良かっただろう」
「無理強いをするのは趣味じゃないんだよ。今回はラウルが困っているから特別だね」
サイファは無邪気なくらいに屈託のない笑顔を見せた。鮮やかな金の髪がさらりと揺れて上品な煌めきを放つ。その言いようのない眩しさに、ラウルは思わず眉根を寄せた。
…続きは「ピンクローズ - Pink Rose -」でご覧ください。
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