一期一会の想いを込めて・・・

独学で色鉛筆画を描いています。

真心を込めて 詩も書いています。

愛と希望が届きますように・・・

日常のひとコマ ~母の面会~

2021-11-02 07:40:07 | 介護

 

 

 

 

おはよう

 

ただいま

 

お帰り

 

気をつけて

 

おやすみなさい

 

 

 

普段

 

何気なく交わしている会話

 

 

 

あまりにも

 

ありふれた日常のひとコマ

 

 

 

あたり前のように思いがちだけれど

 

あたり前じゃない

 

 

 

何気なく発した一言に

 

相槌を打ったり

 

応えてくれる人がいることは

 

 

 

本当は

 

とても

 

有難いこと

 

 

 

恵まれたことで

 

幸せなこと

 

 

 

けれども

 

哀しいかな

 

 

 

人は大切なものを失ってからか

 

失いそうになってから

 

気づくことが多いもの

 

 

 

だからこそ

 

 

傍にいる大切な人を

 

今ある幸せを

 

かけがえのない時を

 

大切に

 

 

 

一瞬一瞬を

 

愛しんで

 

 

 

 

一昨日、母の面会に行ってきました。

 

面会できるといっても

月に数回、一回15分という短い時間です。

 

それでも会えてよかったです。

 

 

 

 

やせ細り、小さくなっていく母

 

老いてどんどん衰弱していく母

 

寝たきりの母

 

 

けれども痛みや苦しみはない様子で

穏やかな表情を見ることができました。

 

 

それでも時間が経つのはあっという間でした。

 

 

認知症もひどくなり

ほとんど会話もできなくなってしまった母

 

 

けれども

帰り際に『気をつけて』と

か細い声で言ってくれた母

 

 

その一言が涙が出るほど

嬉しくて・・・

 

母の手を握りました。

 

 

 

 

あとどれくらい

母の手を握ることができるのだろう

 

 

どうか

少しでも長く生きていて

 

 

そう心から思いました。

 

 

 

 

 

 

皆さまにやさしい時間が流れますように。

 

 

 

 

画像の花冠の絵は以前描いたものです。

 

 

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母の通院日 ~父と一緒に付き添って~

2021-10-10 03:34:10 | 介護

 

 

 

 

一昨日、父と一緒に母の通院の付き添いに行ってきました。

 

 

母の心不全と肺の状態を診てもらいました。

幸い、容態は落ち着いており、安心しました。

 

 

母と会えたことも嬉しかったのですが、

認知症の両親を私ひとりでみるのは大変疲れました

 

 

父と二人で外出するのも疲れるのですが、

両親二人ととなると、思った以上に疲れます。

 

 

 

母は認知症が大変進んでしまい、

父のことも私のこともわからず、

母自身の名前も姓は言えず、

言えるのは名前だけになってしまっていました。

 

 

口数も減ってしまい、話しかけても反応が

少なくなってしまいました。

 

 

予想はしていたものの、実際にそんな姿を目にすると

悲しく胸が痛みました。

 

 

一年半前なら、認知症が進んでいたとはいえ、

まだ、私に話しかけていたんですが・・・。

 

 

その頃のことや昔のことを思い出し、悲しくなりました。

 

 

 

 

父と母が一緒にいても、二人が会話することも

すっかりなくなってしまいました。

 

 

父も認知症が進行していますが、

まだ、私や母のことはわかっています。

 

 

父が母に話しかけても、母は聞こえているのかいないのか

わからないような状態でした。

 

 

父は母が施設に入所していることもすぐに忘れてしまい、

どうして病院に来ているのかも理解しておらず、

何度も私に問いかけてきます。

 

また、病院内が寒いと言い、待合室で待つのも嫌なようで

何度も「もう帰ろう」と言っていました。

 

 

そんな父をなだめながら、母の車椅子を押していたのですが、

とても疲れました。

 

 

 

 

病院を出た後、母を施設まで送り、

その後、父と食事をして、母の携帯電話の解約の手続きや

買い物などをしてきました。

 

 

途中で父がトイレに行ったのですが、

父がなかなか戻ってこず、また行方不明になったんじゃないかと

大変心配しました。

 

 

幸い、父が近くをうろうろしていたのをすぐに

見つけることができ、大事に至りませんでした。

 

 

以前、行方不明になったこともあり、

父との外出は気が抜けません

 

 

 

 

帰宅してから、私はどっと疲れが出てしまいました。

 

 

父は全く疲れた様子もなく、帰宅した頃には出かけていたことも

すっかり忘れてしまっていました。

 

元気そうな父を見て、ちょっと羨ましくなりました

 

 

私は外出している時は気が張っているので

疲れは感じないのですが、帰宅後、時間が経つにつれ

体の節々が痛くなり、昨日は一日寝込んでしまいました。

 

 

娘は、私が体調不良の時に父の通院に付き添ったこともあり、

父と外出することのしんどさをわかっています。

 

私を気遣ってくれ、家事を手伝ってくれました。

 

そんな娘には感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

世の中には一人で介護をされている方も多いと思います。

ご苦労いかばかりかとお察しします。

 

 

 

 

 

 

明日が皆さまにとってやさしい一日になりますように。

 

 

 

 

画像の栗の絵は随分前に描いたものです。

今見ると、特に葉の描き方が雑だと自分でわかります

 

 

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母の記憶 

2021-09-12 02:51:48 | 介護

 

 

 

 

日に日に失われていく母の記憶

 

 

 

とうとう

 

覚えているのは自分の名前だけ

 

 

 

娘の名前すら忘れてしまった母を前に

 

哀しみと淋しさが押し寄せる

 

 

 

いつかは

 

こんな日が来ることがわかっていたものの

 

心は現実を受け止められない

 

 

 

家族の名前も自分の生年月日も

 

忘れてしまった母は

 

 

何を想うのだろう

 

 

 

せめてもの救いは

 

母の穏やかな顔

 

 

 

以前よりも随分

 

やさしく穏やかになった母の顔

 

 

 

きっと

 

 

心は和やかな風に包まれているに違いない

 

 

 

せめて

 

このまま

 

ずっと

 

母に穏やかな時間が流れることを

 

願いながら

 

母の手を取った

 

 

 

 

昨日、施設に入所している母の通院の付き添いに

父と行ってきました。

 

 

母とは新型コロナウイルスの影響で面会もできず、

会うのは久しぶりでした。

 

前回入院した時には医師から覚悟しておくようにと言われ

いつ急変するかわからない状態でした。

 

 

検査、診察を受けると

幸い、今は容態は落ち着いているとのことでした。

 

母の表情も苦しそうではありませんでした。

 

それは本当に嬉しく思いました。

 

 

ただ、認知症がどんどん進行していて

父の名前も私の名前も自分の生年月日も

忘れてしまっていました。

 

いつかはこうなるだろうと思っていたものの

やはりショックでした。

 

 

それでも、母の顔は穏やかで

それだけが救いに感じました。

 

以前は大変厳しくきつい性格で表情もきつかったのですが、

今はその頃からは考えられないほど

穏やかな顔つきになっていました。

 

 

このまま、母が苦しむことなく

穏やかに過ごしてほしいと願っています。

 

 

 

 

父も要介護ですし、認知症が進行しています。

 

 

母の付き添いに父も行ったのですが、

すぐにいろいろなことを忘れてしまいます。

 

何度も同じことを聞かれたり、「寒い。寒い。」と繰り返して

「早く帰ろう。」と言っていました。

 

 

私はそんな父をなだめながら

母の車いすを押していました。

 

病院が混んでいて、待ち時間が長く、

そのことについても父は何度も文句を言っていました。

 

会計が済むまで三時間ほどかかり

私も疲れてしまいました。

 

 

疲れを感じながらも

後何度、このように両親と会えるのだろうと思うと

心が痛みました。

 

 

父は普段からしょっちゅう、母が施設に入所していることを

忘れているのですが、この日も母と一緒に帰れないことを

不思議に思い、母はどこに行くのだとずっと言っていました。

 

 

母と別れて病院を出て、少し時間が経つと

父は母と会ったことすら忘れていました。

 

 

 

 

両親の老いと認知症で記憶が失われていくことは

哀しいものです。

 

この日はとても疲れて、帰宅後は動けませんでした。

 

仕事から帰宅した娘がいろいろと手伝ってくれ、

本当に助かりました。

 

娘には感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

 

 

明日が皆さまにとってやさしい一日になりますように。

 

 

 

 

 

 

画像の絵は以前描いたものです。

 

 

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家路

2021-07-23 05:06:50 | 介護

 

 

 

 

家に帰ろう

 

 

 

楽しかったあの日に想いを馳せながら

 

家に帰ろう

 

 

 

胸の痛みや哀しみは

 

今は

 

今だけは

 

心の片隅に追いやって

 

 

 

楽しかった思い出だけを

 

紡ぎながら

 

家に帰ろう

 

 

 

目を瞑れば

 

ほら

 

あの頃の元気なあなたに会える

 

 

 

楽しかったあの日の記憶を辿りながら

 

家に帰ろう

 

 

 

 

~ 母の再入院 ~

 

 

ブログには書いていなかったのですが、

母の容体が落ち着いたということで

実は三日前に退院し、施設に戻っていました。

 

 

それが、昨日、母の容態が急に悪化して

また入院しました。

 

 

父と二人で病院に駆けつけ、医師の話を聞き、

母と会ってきました。

 

 

心不全、肺炎に加えて

心筋梗塞の可能性もあるとのことでした。

 

 

治療には手術が必要なのですが、

高齢で体力のない母にはリスクが高いということで

手術は行わないことになりました。

 

 

 

 

前回の入院の時に医師から「覚悟しておくように。」と

言われたので、今回は前よりは落ち着いて話を聞くことができました。

 

 

今はコロナの影響で面会もわずかな時間しかできない状況ですが、

病院の配慮で医師を待っている間、三十分以上

母の傍にいることができました。

 

 

母は意識ははっきりしており

少しなら会話することもできました。

 

 

ただ、全身のあちらこちらが痛むようで

特に背中が痛むようなので、父と交代で

母の背中を擦りながら、母の顔を見ていました。

 

 

母は苦しそうでしたが、時々、施設に入所する前のことを

思い出したようで、父と一緒に暮らしていた頃と

錯覚して、父に話しかけていました。

 

 

「明日の朝のパンをまだ買っていないよ。」という

以前の暮らしの中ではしょちゅう言っていたことです。

 

 

昔、私もよく聞いた言葉で、本当に懐かしく感じられました。

 

以前の強くはっきりした口調とは全く違い、

弱々しくか細い声でしたが・・・

 

 

認知症の父は状況がわからず、きょとんとしていたので、

私が「わかったよ。」と答えました。

 

 

ただ、昔とは違う弱り切った母の姿に

私は胸が痛みました。

 

 

 

 

私は、時々、母が元気だった昔のことを思い出し

悲しくなりました。

 

 

母は私には大変厳しくつらく当たることが多かったのですが、

それでも、家族旅行をした時などの楽しい思い出が

ないわけではありません。

 

 

旅行をした時のことを思い出し、あの頃にはもう戻れない、

悲しさと切なさとなんともいえない気持ちがこみ上げてきました。

 

 

 

 

病院を出る際、聞こえた蝉の声さえ特別に感じられました。

 

今は母の苦痛が少しでも和らぐことを祈っています。

 

 

 

 

明日が皆さまにとってやさしい一日になりますように。

 

 

 

 

 

 

画像の波の絵は以前描いたものです。

 

 

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『再会』 ~母の老い~

2020-07-26 19:22:19 | 介護

 

 

 

 

あの日

 

見た紫陽花と同じ色の紫陽花

 

 

 

あの日も静かな雨が降っていた

 

 

 

時の流れは残酷で

 

あの日のあなたとはまるで別人の

 

変わり果てたあなたが微笑む

 

 

 

年老いて

 

やせ細った

 

不自由な体

 

 

 

あなたから消えていく

 

記憶

 

言葉

 

 

 

幼い子どものように

 

発せられる単語

 

 

 

『老い』という哀しく厳しい現実

 

 

 

ただ

 

あなたが笑っていることだけが

 

救いだった

 

 

 

あの日と同じように

 

雨の中

 

紫陽花も微笑んでいた

 

 

 

 

~母との再会・老い~

 

 

コロナウイルスの影響で面会できなかった

母と七月四日にようやく面会できました。

 

 

母は以前の母とはまるで別人でした。

 

 

前に会ったのは四、五年前ですが、

当時は普通に会話ができ、歩くこともできました。

 

 

今は驚くほどやせ細り、背中が曲がり

本当に小さくなっていました。

 

 

初め見た時、私が母とわからなかったほどです。

あまりの変わりように涙が零れました。

 

 

足は腰の圧迫骨折が原因で動かなくなり

歩くこともできす、認知症の症状もひどく

多くのことを忘れてしまっていました。

 

 

母は書道の師範で以前は書道教室を開いていたのですが、

字も書けなくなっていました。

 

 

 

 

もともと母は性格がきつく、大変厳しい人でした。

 

私が幼いころから母とはいろいろなことがあり

私にとってはつらい経験が多くありました。

 

 

私が精神疾患を患うようになり

医師からは私が両親、特に母親と接することで

症状が悪化すると言われ

「関わらない方がいい。縁を切りなさい。」と

言われたこともありました。

 

 

私は恐怖心で両親と会えなくなり

気づくと十年以上が経過していました。

 

 

ただ、四、五年前の今と同じ季節、梅雨に

あることがきっかけで母と会うことができました。

 

 

 

 

私は母と会うまでは不安で怖くて仕方なかったのですが、

私の娘も一緒に会うことになっていたので

なんとか会うことができました。

 

 

会ってみると、意外にも自分でも驚くほど

何もなかったかのように世間話をすることができました。

 

 

それが元気だった母に会った最後です。

 

 

それから、時々電話で話すものの、会うことはできず、

再会したのが病院での面会です。

 

 

 

 

母は認知症の症状が重く、会話もあまりできませんが、

表情は穏やかで笑っていました。

 

 

私にはそれが救いに思えました。

 

 

また、母の友人のことは忘れてしまっていましたが、

父や私、娘のことも覚えており

ほっとしました。

 

 

母が私を忘れてしなわないうちに会えて

本当によかった・・・

 

 

そう心から思います。

 

 

そして

四年前に元気だった母と一度でも

普通に話せてよかったと思っています。

 

 

 

 

 

 

母は七月の半ばに退院し、

今は特別養護老人施設に入所しています。

 

 

認知症の父の世話をしている私が

足が不自由で重い認知症の母も世話することは

無理だということで、ケアマネージャーの勧めで

入所が決まりました。

 

 

先週、面会に行きました。

 

コロナウイルスの影響で面会は今は月二回までで

一回15分という短いものです。

 

 

あっという間に15分は過ぎてしまいましたが、

母の笑顔を見れて、よかったです。

 

 

今週も面会に行く予定です。

 

 

ただ、コロナウイルスの流行で

いつ面会ができなくなるかもしれません。

 

 

施設の職員の方も八月は面会できなくなるだろうと

おっしゃっていました。

 

 

 

コロナウイルスが少しでも早く

収束することを祈ります。

 

 

 

 

皆さま

穏やかな夜を過ごされますように。

 

 

 

画像の絵は以前描いたものです。

 

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