Chiakiの徒然日記

はかない

父の従弟が亡くなった。
50代、まだまだ還暦には程遠い年齢で、あっけなく逝ってしまった。
闘病しているという話は聞いていたので、「ついに来たか」という気持ちと、「もう!?」という気持ちとが同居していた。

父の従弟、スミさん(仮名)。
父とは一回り以上離れていたので、あまり父たちの間でいとこ同士という感じはない。
でも、曾祖父母や大叔父大叔母に挨拶に訪れたときに、家にいればよく遊んでくれた。
その場にあるものを使っての遊びを伝授してくれた。

将棋盤と将棋の駒を使ったすごろくとか、将棋の駒の山崩しとか。
あまりに私や弟が熱心に遊ぶので、スミさんは私たちに将棋の駒や将棋盤を譲ってくれた。

私たちが成長するにつれ、スミさんのあまりよろしくない噂なども耳に届き始め、次第に距離が出来てきた。
それでも表面上はスミさんとはそれまでと同様に接していた。
年に1~2回あるかどうかという状態だったので、特に意識せずとも接することは出来た。

スミさんのことを尊敬する、とまではいかなかったが、嫌いにはなれなかった。
父の従弟として、それなりに…という感じだったと思う。

昨年、スミさんの体調が思わしくないと聞いた時には驚いたし、治ってほしいとも思った。
でも、手術も不可能と言われたらしく、どのような顔をして会ったらいいのか分からなかった。
幸か不幸か、私や母が訪れるタイミングでスミさんは外出していたため、一度も会うことはなかった。

お通夜に行ってきたが、遺影に使われている写真の中でスミさんは笑っていた。
亡くなる数日前に撮影された写真だというのに、本当に今にもケラケラ笑い出しそうな雰囲気。
薬の副作用で、バルーンのように顔がパンパンに腫れていたのが痛々しい。
スミさんがいわゆる「デブ」でないことは、親戚みんな知っている。
だからこそ、パンパンの顔を見るのが辛い。

大叔父が喪主としての挨拶をしていたが、こちらも凄く痛々しい。
娘さんか娘婿さんに代わって貰えばよかったのに…とも思ったが、やはり自分の口で挨拶したかったのだろう。
冷静に聞いていれば支離滅裂な文章なのだけど、それだけに胸を打った。
今は気が張っているだろうけど、あとで反動が来なければいいけど…。

父といい、スミさんといい、50代で亡くなるというのは辛い。
父もスミさんも逆縁。
病気なのだから仕方がないとはいえ、遺された親は辛いだろうなと感じる。
様々な要因から、葬儀には参列できそうにもないけど、自宅からスミさんの冥福を祈りたい。

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