今は、
お正月気分なんて全くなく、
ただの年越しになっているのだが。
小さい頃、お正月になると、、、
嬉しいことが続いた。
伯父宅には、お盆&お正月に関係なく、
数十人が常にいたので、
早朝から、お年玉集めに廻っていた。
家の中に、大勢の人がいると、
お年玉も、
それと比例して増えていくから
お正月だけは、いつも感謝していた。
人見知りだった?私でも、
こういう時だけは妙に、人懐っこくて(笑)
私の場合、
従兄弟達の中でも、生まれるのが遅かった為、
毎年、従兄からも、お年玉を。
この従兄は、もうすぐ還暦だが。
それに、お年玉だけではなく、
両親が来てくれることが、
お年玉よりも何よりも嬉しかった。
毎年、1月2日の朝になると、
門から、お庭を通り、玄関に向かって、
父の運転する車が、
「ブ~~~~~~~ン!」と入ってくる。
私は、玄関を開けずに、
ドアのガラスに映る、父の車のシルエットを見て、
久々に、
両親と会えるのをとても喜んだこと、
かなりの年月が流れた今も尚、
鮮明に覚えている。
キリンよりも、首を長くして待ってたかも。
暫くして、ドアが開閉する音がし、
父と母が、玄関を開けながら、
「明けましておめでとうございます!
今年も、ヨロシクお願いします!」と。
私は嬉しさから、すぐに駆け寄って行ったが、
伯父が間髪入れずに、
「新年の、ご挨拶をなさい!!」と。
なので、挨拶をして、、、母の元へ。
「モミー!!」と抱きついていくと、
「み○~、大きくなったわね!
元気だった?」と。
わずか数時間程の、対面時間だったけど、
自分の中では、
1日中、会ってた気分だった。
母は、帰る時、私の頭をチョンチョン!と撫でて、
「み○、
伯母ちゃまの言うことを良く聞いて、
良い子にしているのよ!」と言い、
車に乗ってった。
両親が、大阪へ帰って行く時は、寂しく思ったけどね。
仕方ないことだ!と、
自分の気持ちを押し殺して、
父の車を見つめてたっけ?
ってか、両親は、
どんな年越しを過ごしていたのだろうか?と。
1度も聞いたことないなぁ。
いつか機会があれば、聞いてみよう!と思うけど、それは同時に、
母を苦しめることに
なりかねないんじゃないかな?とか思ったり。
こういう環境になってるのは、
母の、お勉強ノイローゼの後遺症だからね。
最近、思う様になったけど、
今まで自分は、母の犠牲者だと思い、
ずっと母を責めていたが、ある意味、
この母も、社会の犠牲者なんじゃないか?と。
平成時代のような、「ゆとり教育」の考えとは程遠く、
「詰め込み教育」の世代で、
1点の差が、人生の分かれ目みたいな教育??
うーん、このことは長くなるので、
また別の機会に、書いてみようかな?
話を戻して、、、
本来なら、家族が一緒に過ごして、
沢山お話して、スキンシップしながら、、、
というのを憧れた。
私は、
甘えん坊&我が儘だったから、
人一倍、その思いが増すばかりで。
他の子達は、
両親と初詣へ行ってるのに、
私は親戚と、、、ってね。
羨ましくて、羨ましくて、、、。
あっ、それと、余談だが、、、
いつも両親を待ってた、
この伯父宅の玄関でのこと。
その場所は、私にとり、
恐怖と戦いながら、両親を待つ所だった。
その理由は、、、
様々な動物の剥製が、
そこに鎮座して、此方を見ているからだ。
中でも、牙を剥き出してる剥製なんて、
昼間なら、まだマシだけど、
夜になると、怖いなんてものじゃない。
祖父は、動物が大好きで、裏庭に、
クジャク、キジ、フクロウ、鶏、
犬、、、等々を飼っていて、
動物の多い伯父宅だけど、
生きてる動物に関しては、まだ良い。
ところが、
木彫りの屏風の上に、
剥製が乗っかってると、マジ怖かった。
シカ(鹿)の剥製も怖かったぁ。
先日も、
兄と、この伯父宅の剥製の話で、
盛り上がった。
私と同じく、かなり怖かったらしい。
どうしても、
伯父宅にいた頃のこと書くと、
懐かしさもあるし、複雑な感情も入り交じっていて、
ついつい長文となってしまう。
それと、今日の体重は、、、 変化なく、昨日と同じ。
もうすぐ、ブルーデイだから、
体重が変化しなさそうかな?
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