こんにちは。
ちふです。
フィクションです。
「不可逆的問題において中立的視点は成立するのか」
なんだか偉そうなタイトルを付けたけど、当然中身はそんなにないから悪しからず。
要は、「死」に直面した際に、その現象から目を背けるために中立的視点などという誤魔化しをしていないかという指摘がしたいんです。
とある組織で、退職後三ヶ月で、元職員が自殺しました。
まあまあデカ目の組織で約5万人くらいと言われています。
元職員のご家族は、元の職場に対して批判的な文章を綴っています。
さて、どんな対応がなされるべきか。
驚いてはいけない。
残りの構成員は、この問題から目を背けてしまったのだ。
目を背けるには目を背けるために正当性が必要になる。さもそれらしい正当性が。
「中立的視点」だと。なるほど。悪くなさそうに聞こえる。
実際、ご遺族が批判的な文章を示している、あるいは、元同僚の親友が同僚から送られたLINEを公開したり、二、三の証言をした。
とはいえ、出ている情報といえばその程度なもので、どれも真実であるかどうか、勘違いなどの可能性も排除しきれない。ここは「中立的視点」で「両論」をバランスよく見なければならない。
最もそうに聞こえる。
ふざけちゃあいけない。
聞く話によれば、その組織では過去にも同様のケースが何度もあったらしい。これは「死」ではないが、無理矢理辞めさせられたりしたケースは10件以上あるという。
百歩、いや、一億歩譲って、強制退職はサポート次第ではまだやり直せる。そのようなケースで他に死者は出ていない。
が、「自殺者」が出てしまった。
だれか「中立的視点」で「両論」見るなどと余裕こいている阿呆の中に一人でも失われた命を黄泉の国から取り返すことのできるものがいるのか?
もしいるなら、ゆっくりコーヒーでも飲みながら、中立的立場でいたらいい。まるっきり全部わかりきったところで、必要なら命を取り戻せばいい。
いるわけないんだ。
次を誰が止める?
やるべきことは決まっている。
真っ先に、第三者による調査会を立ち上げ、問題を詳らかにすることだ。
懐疑的であっていい事柄とそうでない事柄があるはずだ。
「死」の不可逆性を誰が破れる。
この事の重み、認識できているのだろうか?
※フィクションです
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