今日、こんな素敵な文面を見つけました
何かに書いておかないと
私バカだから忘れてしまう
そーだだからBlogに書いておこう
そんな訳で
「意識してみます!」
先生から何か指摘を受けた時に こう言っていませんか?
私のレッスンでもよくそうおっしゃる方がいますが「意識する」ことではなく「意識的である」ことの方を大切にしてほしいなって思います。
「意識する」と「意識的である」言葉として似ていますが、意味するところは全く違います。
例えば身体以外で「意識する」という言葉を使うとき
「好きな人を意識する」
「先生の目を意識する」
何か意識している”対象”があって 存在感も強いですよね。
その対象に気持ちが集中している状態。
スポットライトがピカーン☆って感じですね。
「意識的である」というのは「気づいている」ということ、ただ「知っている」くらいの軽さです。
「あそこに1万円が落ちている!1万1万・・・拾おうかどうしようか。でも人の目が・・でも誰かが拾ったら・・」
これ すごく意識していますよね(笑)
「あ~あそこに1万円が落ちているね。」
これは気づいているです。
拾うかもしれないし拾わないかもしれない、決めてない。
この両方の場面を想像すると、身体の緊張に違いがあるでしょ。
なんとなく違いがわかりますか(^_^)
「踊るときは指先まで意識しましょう」
指先を意識してると、身体のほかの部分を忘れませんか?
「ターンアウトを意識して脚を上げます」
ターンアウトしていることをチェックし続けていませんか?
「肩が上がらないように意識します」
やりたくないことに集中していると、やってしまいますよ。
「意識する」ときは、身体の部分や動きに集中します。
でも、身体は全体がつながって動いています。
特に踊るということはつながり=アライメントが大切ですね。
正しくできているかをチェックしたり
やりたくないことを意識し続けるのは、身体が本来の機能を発揮して動くことの助けにはなりません。
自分に「意識的である」ただ気づいているだけでいいのです。
自分を客観的に外から眺めているという感じですね。
全体が見えています。
部分に意識を向けるときも同じ、指先に集中するのではなく”自分の身体”への気づきを指先まで広げてあげるのです。
ターンアウトができているかを気にするのではなく、ターンアウトに必要な動きをやって、自分全体に気づきながら、やりたい動き=脚を上げるをやるのです。
肩を上げたくないことは放っておいて、やりたいことに必要な動きをやる、自分の全体に気づきながら。
「意識的」を辞書で引くと・・自分でもそうと知りながらしているさま・・とありました。
「自分がやっていることに気づいている」
「自分の身体がここにいることに気づいている」
「自分がいる空間に気づいている」
これが「意識的である」ということ。
踊るときは、部分にフォーカスするよりも、自分の全体に気づいていてほしいのです。
そのために 「頭がある」「頭が動ける」ことを気づいている・知っていることが役に立ちます(^_^)b
追伸:「意識する」は対象が外に(あるいは何かの部分に)ありますが、「意識的である」のは自分に対して使う言葉かなと思いました。
なんか参考になりすぎて、この文面を書いた人はすごいと思いました
これって、ダンス以外もそうですよね
もっとダンスが、上手くなりたいなぁ~(笑)
皆様も是非参考まで
何かに書いておかないと
私バカだから忘れてしまう
そーだだからBlogに書いておこう
そんな訳で
「意識してみます!」
先生から何か指摘を受けた時に こう言っていませんか?
私のレッスンでもよくそうおっしゃる方がいますが「意識する」ことではなく「意識的である」ことの方を大切にしてほしいなって思います。
「意識する」と「意識的である」言葉として似ていますが、意味するところは全く違います。
例えば身体以外で「意識する」という言葉を使うとき
「好きな人を意識する」
「先生の目を意識する」
何か意識している”対象”があって 存在感も強いですよね。
その対象に気持ちが集中している状態。
スポットライトがピカーン☆って感じですね。
「意識的である」というのは「気づいている」ということ、ただ「知っている」くらいの軽さです。
「あそこに1万円が落ちている!1万1万・・・拾おうかどうしようか。でも人の目が・・でも誰かが拾ったら・・」
これ すごく意識していますよね(笑)
「あ~あそこに1万円が落ちているね。」
これは気づいているです。
拾うかもしれないし拾わないかもしれない、決めてない。
この両方の場面を想像すると、身体の緊張に違いがあるでしょ。
なんとなく違いがわかりますか(^_^)
「踊るときは指先まで意識しましょう」
指先を意識してると、身体のほかの部分を忘れませんか?
「ターンアウトを意識して脚を上げます」
ターンアウトしていることをチェックし続けていませんか?
「肩が上がらないように意識します」
やりたくないことに集中していると、やってしまいますよ。
「意識する」ときは、身体の部分や動きに集中します。
でも、身体は全体がつながって動いています。
特に踊るということはつながり=アライメントが大切ですね。
正しくできているかをチェックしたり
やりたくないことを意識し続けるのは、身体が本来の機能を発揮して動くことの助けにはなりません。
自分に「意識的である」ただ気づいているだけでいいのです。
自分を客観的に外から眺めているという感じですね。
全体が見えています。
部分に意識を向けるときも同じ、指先に集中するのではなく”自分の身体”への気づきを指先まで広げてあげるのです。
ターンアウトができているかを気にするのではなく、ターンアウトに必要な動きをやって、自分全体に気づきながら、やりたい動き=脚を上げるをやるのです。
肩を上げたくないことは放っておいて、やりたいことに必要な動きをやる、自分の全体に気づきながら。
「意識的」を辞書で引くと・・自分でもそうと知りながらしているさま・・とありました。
「自分がやっていることに気づいている」
「自分の身体がここにいることに気づいている」
「自分がいる空間に気づいている」
これが「意識的である」ということ。
踊るときは、部分にフォーカスするよりも、自分の全体に気づいていてほしいのです。
そのために 「頭がある」「頭が動ける」ことを気づいている・知っていることが役に立ちます(^_^)b
追伸:「意識する」は対象が外に(あるいは何かの部分に)ありますが、「意識的である」のは自分に対して使う言葉かなと思いました。
なんか参考になりすぎて、この文面を書いた人はすごいと思いました
これって、ダンス以外もそうですよね
もっとダンスが、上手くなりたいなぁ~(笑)
皆様も是非参考まで