えんじゃけん

今の教育に足りないもの

先日の講演の中で「前段」が大切って話があった。

どういうことかというと、今の会話はメール的な会話が多いってことだった。
メール的会話というのは、用件だけの会話ってこと。
いきなり用件だけ言っておわり。
これではお互いの心は通いあわない。
用件を言う前に、相手をいたわる言葉を入れるようにすると、
人間関係は随分潤いを帯びてくるという話であった。
その用件の前にいういたわりの言葉が「前段」だそうだ。

たしかに。
ひとこと、最近調子はどう?とか、風邪はひいてない?とか
気遣ってくれてると思われる言葉をかけてくれる人って
好印象ですよね。
私はそれはなかなかできない人なんですけどね。(^^;)
なんか照れくさい。

昨日の飲み会でも似たような話が出てきて情緒は大切だよね、
って話をしていた。
日本人って情緒多き人種なんだそうですよ。
なんでも日本は四季がある国なので、自然と情緒が四季の
ない国に比べて育ちやすいんだとか。
秋の紅葉は本当に美しいし・・・・とのことだったんだけど。
でもね、都会とかになるとその紅葉もなかなかお目にかかれず、
ビル街なんかは季節感はディスプレイなどで感じるって感じですよね。

それに関連して、私が心配しているのは、地球温暖化のせいか、
春・秋って季節が短くなっているように思うんですよね。
急激に暑い、急激に寒いの二季になってしまうんじゃぁないかと
思うんですよね。
なんかのテレビ番組でも日本は亜熱帯気候に近づきつつあるって話だったし。
私は季節では秋が一番好きで、次に春が好きなんだけど・・・
その季節がなくなると寂しいなぁ。
季節によって空気って違いますよね。
その空気の違いが感じられなくなるのかと思うと非常に寂しく思います。

それはさておき、もし、今の孤立化やらいろいろな人間関係の諸問題
(犯罪等も含む)がこの情緒の足りなさに影響しているのだとしたら、
一体、どうすれば、情緒がとりもどせるんでしょう?
自分自身が情緒を持って人に接すればいいとその方は言ってましたが、
自分自身に情緒がない場合は?
私とかはあんましないような人のような気がするしなぁ。
よくわからない。
情緒っていうものがすごく曖昧だ。
講演会では情緒って言葉は出てこなかったけど、似たような言葉で、
理論ではなく感情を大切にすることが人を育てる上で大切という
話をしていたなぁ。

「情緒」って言葉を辞書で調べると
「事に触れて起こるさまざまの微妙な感情。
また、その感情を起こさせる特殊な雰囲気。」とのこと。

やっぱ、感情を大切にってことなのかな、情緒を育てるってことは。
でも、感情ばかりに振り回されるような人間になっても、
あんましよくないし・・・・。
まぁ、ここでいう感情は情緒での感情なので、微妙な感情について
だろうから、それに振り回されるってことはないんだろうけど。
感情を大切に・・・というと誤解が起きて、自分の感情に振り回される
人が増えそうなので、情緒を大切にって言葉の方が相応しいように思う。

感じる心っていうのかな。
情緒ある人が増えれば、もっと心豊かな社会になるんでしょうね。
競争を義務教育の中から排除しようとしたのも、もともとはそんな
意図があるんだろうけど、それがうまく伝わらず、競争をなくしても
情緒にかける教育がなされているんだろうね。
「どういう子どもを育てたいか?」
そこを曖昧な言葉ではなく誤解なくはっきりさせてないと
いくら制度を変えてもうまくはいかないんだろうなぁと思います。
競争をなくすることが第一の目的じゃないんだよね、きっと。
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