えんじゃけん

教育再生会議で思ったこと

いじめについて、すごくさわがれていますね。

教育再生会議が昨日開かれたようですね。
そんな中には、いじめた側を出席停止処分をするという話もあったそうです。
いじめに対して毅然たる態度で対応していこうということです。
・・・自殺者が相次ぐ中、応急処置的な対策はたしかに必要に思います。

しかし、ひとことに、いじめといっても、その基準も難しいですよね。
どこまでをどういじめと捉えるのか。
「いじめられる側がいじめと感じたらいじめ」という話もありますが、
そうすると、被害者妄想の強い人は何でもいじめと捕らえる傾向が
ありますよね、それがいじめでなくても。
そんなときでも、いじめたと言われた人はいじめの対象となり、
処罰をうけなければならないのでしょうか?

もちろん、いじめはよくないですし、あればそれに対しての
対処は必要だと思います。
しかし、すべて大人が安全な環境を作り、子どもが無菌室で育ったとしたら、
たぶん、その子たちは大人になったときに崩壊が起きると思うんですよね。
そうでなくても、今の子達は、我慢の心の足りない子が多いといわれています。
いわゆるすぐに切れる子ですが・・・。
それも、今回の自殺の多さに繋がっているのではないだろうかと思います。
いじめの対策をしていく一方で、この我慢の少ない世代をいかに
精神的に鍛えていくかということの検討も必要であるように思います。
いじめを処罰を設けることで、抑制するっていうのもひとつの方法ですが、
もっと、人間的な部分っていうんでしょうか、そういう部分の現状を
見据えた上での対策も必要ですよね。

私自身もまだうまく言葉としてもまとまってないんですけど、
人をどうこうしよう(今回ならいじめをなくする)と思うことの
難しさは感じます。
どう対策をつくろうとも、必ず、それに当てはまらない人、
ぎりぎりラインで生きて、ぎりぎりひっかからい人とか出るんですよね。
十人十色だから対象が多ければ多い分、難しい。

ニュースで悲惨なニュースが毎日流れるように、大人の社会だって、
いろいろな問題がある中、子どもの世界だっていろいろ起きるのだ。
もし、子どもの世界に完璧を求めるのであれば、
大人がまず、それを示さなければ本当はならないのでは
ないだろうかとも思います。
ただ、子どもに口だけでいうんでなくてね。
歪んだ世の中が、子どもの心を歪ましているのも確かな事実。
以前の自民党の郵政民営化に協力しないものは自民党から外すって
やり方もある意味いじめですよね。
あと、確かな情報でないのに騒ぐ芸能ニュースだって、
あれもいじめだと思います。
スキャンダル(人の不幸)をみんなで面白おかしく話すのもいじめだと思う。
そう考えていくと、あまりにも当たり前のようにいじめは社会の
公の場でもあふれています。
悪いこととは認識されずに。
見えないところではもっとあるのだろうと思います。
社会で当たり前のようにいじめがある中で学校だけ平和な環境に
していじめをなくそうっても難しいこと。
本当にそう思います。

だから、学校の「いじめ」に対して応急処置以外にも大事なのは、
子どもの精神をいかに鍛えるかということと、
社会の中で当たり前に容認されている人間的に間違った部分(いじめ)を
正していくことも大切なんではないかと思います。
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