高崎新田駅はJR吉都線(吉松と都城の区間)の駅です。
私が子供の頃は蒸気機関車が走っていました。
あの頃、駅は賑やかでした。父が国鉄の仕事をしていましたから
駅には良く遊びに行き駅員の皆様とは仲良しくして頂きました。
今は無人駅になりダイヤも一時間に1本です。
私は時間の許す限り昔住んでいた界隈を散歩しました。
懐かしいご近所の家々は壊されるか、空家になっていました。
私が子供の頃は蒸気機関車が走っていました。
あの頃、駅は賑やかでした。父が国鉄の仕事をしていましたから
駅には良く遊びに行き駅員の皆様とは仲良しくして頂きました。
今は無人駅になりダイヤも一時間に1本です。
私は時間の許す限り昔住んでいた界隈を散歩しました。
懐かしいご近所の家々は壊されるか、空家になっていました。



この度の旅行で初めて知った事が有りました。
山頭火が高崎に宿泊されたという記録が残っていて
新しい石碑が建っていました。
山頭火が高崎に宿泊されたという記録が残っていて
新しい石碑が建っていました。


山頭火行乞記
昭和5年9月21日
9時の汽車で高原へ着き3時間行乞。
そして1時の汽車で高崎新田へ、また3時間行乞。
霧島は霧にかくれて赤とんぼ
病人連れて秋雨のプラットホーム
霧島は霧にかくれて見えない。ただ高原らしい風が法衣を吹いて通る。
あちらを見てもこちらを見ても知らない顔ばかり
やっぱりさびしいやすらかさ、やすらかなさびしさに間違いない。
此宿は満員だといふのを無理に泊めてもらった。
よかった、おばあさんの心づくしがうれしい・・・・
昭和5年9月21日
9時の汽車で高原へ着き3時間行乞。
そして1時の汽車で高崎新田へ、また3時間行乞。
霧島は霧にかくれて赤とんぼ
病人連れて秋雨のプラットホーム
霧島は霧にかくれて見えない。ただ高原らしい風が法衣を吹いて通る。
あちらを見てもこちらを見ても知らない顔ばかり
やっぱりさびしいやすらかさ、やすらかなさびしさに間違いない。
此宿は満員だといふのを無理に泊めてもらった。
よかった、おばあさんの心づくしがうれしい・・・・