撮り歩き

ちぬの浦和の少年時代(by Andalucia昭和30年前後の思い出) 夢の途中(画像ぎゃらりー)

源流をたどる(子供の頃のドブ川遊び)

2011-11-11 11:38:23 | 助松海水浴場
田植えの時期ともなると海岸に設けられた水門までモロコやフナ、鯉まで上流から流されてきた、クローバの形をした極小さな浮き草が脛にへばり付くと水で流さないと取れなかったな、ゴム長には直ぐに水がはいってきて川底は歩きにくく歩を進める度にゴム長から噴水の様に水が噴出して半ズボンはずぶ濡れとなる、20mも進むと黒川(八百屋さん)の橋を潜る最下流に掛かる橋なのでドブ川と云えども川幅は4m程あったか、黒川の橋は最長の橋だ、ここらあたりは田植え時期でなくてもフナやメダカに川えびが居た
当時はまだ今の様な下水網が無かったのだろう各戸の生活排水は土管でドブ川に導かれていて今思うに不潔な遊び場だつた、4mの川幅も大野(荒物や)の橋に差し掛かる頃には2m位になってた橋を潜った右手に排水管があってスガの山(須賀医院の前に庭園業者の植木を仮植えしておく場所が在り子供はスガの山とよんでた、実際盛り土された山様の地形があったのだ)の土中からの清水が湧き出して冷たい、20m上流にも1箇所清水の湧き出す場所が在りメダカと小鮒が僅かな清水の流れに戯れているみたいで親近感を感じたものだ
空き地から須賀医院の前を細い路地が通り5段程のコンクリート段を上るとお寺があって須賀医院の庭園の桜とお寺の樹木に囲われた細道そして左に大きな空き地、松ノ浜にもこんな秘密な子供だけの遊び場が存在したが、おそらく誰も知らなかったのだろう?通る人は皆無で友達数人だけの秘密基地的な場所であった

文章の構成が後先したり手記的な文章を1本の道筋に纏め上げるのに限界を感じるが兎に角四ッ池の源流に辿り着きたい。


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