真言宗のお坊さんなのに、競馬の予想をしてステーキや回転寿司の食べ放題に行ってばかりではどうかと思うので、少しずつですが、仏教に関するお話をさせていただこうと思います。
お彼岸って何?と聞かれて即答できる方はあまりおられないと思います。
私は即答はできません。
多少調べたところからお話します。
まず期間について、
春分の日、秋分の日を中日として前後3日間、計7日間が期間とされています。
次に春分の日と秋分の日の法律上の定義の要約について、
春分の日は自然をたたえ生物を慈しむための祝日。
秋分の日は祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶための祝日。
仏教上の(私が知るごく簡単な)意味。
波羅蜜多(パーラミタ=パーラム:彼岸・イタ:至る)を語源として、昼と夜が同じ長さになる日を、涅槃(彼岸=浄土)と煩悩界(此岸=現世)が最も近くなる日であるとしてご先祖様や亡くなった親族を偲ぶ日。
さらに、波羅蜜多は語源から踏み出すと至彼岸となり、彼岸に至るためには修行が必要ということで、お彼岸の期間に修行しましょうということ(らしい)。
この修行は六波羅蜜と言って、
布施(ふせ)-完全な恵み、施し。
持戒(じかい)-戒律を守る、自己反省。
忍辱(にんにく)-完全な忍耐。
精進(しょうじん)-努力の実践。
禅定(ぜんじょう)-心作用の統一。
知慧(ちえ)-真実の認識に基づく思考。
これらを実践するのが仏教でいうお彼岸の本来の意味(らしい)。
私の考えを言います。
私にとってお彼岸はあまり特別な日ではありません。私は毎日ご先祖様や亡くなった親族を偲んで勤行しています。もちろんお彼岸の期間も勤行します。だから特別にはなりません。
以前にもこんな話をしたと思いますが、100人いれば100通り1000人いれば1000通りの仏教があって当然だと私は思います。
私のように毎日勤行できる暇な独居老人はあまりいませんよね。
せめてお彼岸くらいはと思ってお墓参りされる方、それはとっても良いことだと思います。
私は仏教は本来現世に生きる人間のための癒しだと思います。
ですからご先祖様や亡くなった親族のためにと思ってすることは概ね正解であると思います。
お家に仏壇があればお線香をあげて手を合わせるのも良いし、仏壇がなければ写真に手を合わせる、携帯の画面でも立派にご供養できると思います。
お一人お一人の気持ちを行動にすれば、それは間違いなく仏教でありご供養です。そしてご自身への癒しです。
どうぞ形にとらわれず、自信を持ってご先祖様や亡くなった親族を偲んでください。
ああしなければ、こうしなければと形式にとらわれたり、できないと諦めたりしないでください。
少しでも楽に生きるために仏教があるのですから🙏