思えば足底腱膜炎となり1ケ月半走れず、100キロの挑戦は諦めようかと悩んだこともありました。
でも、通っていた接骨院の先生に「人間、もうダメだ。と諦めたら、そこで終わりだね。
今はバイクに乗ったり治療もしながら、できるだけのことをやってみれば」と言われ、
あと3ケ月しかないけどやれるだけやってみよう!と決意しました。
それから、足の調子も徐々に良くなり、ちょうど100キロ完走に向けた3ケ月メニュー本をみつけ、
主にそのメニューに基づいてトレーニングしました。
さあ、いよいよスタート!
1キロくらい走ったところで、せっかく作った“ラップ表”がない!
腰にぶらさげていたのですが、落ちていました。それには、主なエイドまでの距離、ラップ時間など
わかるように一覧表にしてありました。ショックーー!!
足底腱膜炎の左足をかばった走りで膝にきたのか少し痛みがきました。
ひどくならないうちにサポーターをしていたら、同じガーミンの時計をしていることで
数キロ話しをして並走した男性が鎮痛剤をくれました。とってもありがたかったです。
73キロ地点のエイドで、足の指が少し痛むので靴下を脱いだら、親指に大きな水ぶくれが!
爪で穴を開けて中の水を出し、カットバンを二重に張り靴下も替えました。
そこで共にゴールを誓いあったHさんに会い、何とリタイアすることを聞きました。
とても残念な思い、そして「私の分までがんばって!」と励まされ、必ず完走を心に誓いました。
途中のエイドで次の関門まであと20分と言われ、これはもしかしてぎりぎり?と知り、
ラケット道路の上りも走り、平地もラップ7分30秒で走れる自分がいました。
そして、狼煙のエイドに制限時間ジャストの16時50分に到着!
ぎりぎり間に合ったと思ったのですが、係員が私の方に寄ってきて、
「関門はここの坂を上がったところだから、もう間に合わないね。ゼッケンとって。」と・・・
頭の中は???「走らせてください! 関門がこっちですか?えーーー!!何で?」
関門はエイドから激坂を5分ほど昇った禄剛崎灯台のところだったのです。
関門チェックの人は「グリコのおまけ」と言っていました。絶景を見せたいために、そこを関門としたのです。
無念の涙がこみ上げ、ちょうど音楽のバッテリーも切れ、ひとり能登最北端の海に向かって
悔し涙を流しました。一生忘れません。
あと5分。悔しくて、悔しくて、まだまだ体は走れました。でも、走らせてもらえない!
結局、力不足でした。
こんなにアップダウンの連続のコースだったとは! 平坦なコースであればゴールできていたと思います。
大会の翌日、再びコースを巡り、あらためて自分が走った長い道のりを振り返り、
不思議と気持ちもすっきりとし、100キロ完走はできなかったものの85キロを走れた自分を認めることができました。
何より、この大会で得たものは大きかったです。
いろんな人との出会い、ウルトラの魅力を知ることができ本当にチャレンジしてよかった!
そして、主人が完走できたことが何よりもうれしいです!
<ちぃ>
レース前日、走ろう会のメンバーと健闘を誓う!!
走友のSさんとスタート地点で出会う(ウルトラの達人・71歳)
早朝6時頃の見附島(スタートより8㌔地点)
エイドステーションで、選手を迎えてくれた子供達
75㌔地点(100㌔コース)を走る!
45㌔地点(60㌔コース)“禄剛崎灯台”
エイドステーションでもらった“珠洲の塩”
ゴール後にかけてもらった完走メダル(60㌔コース) 材質は珠洲焼きで手作り!!
でも、通っていた接骨院の先生に「人間、もうダメだ。と諦めたら、そこで終わりだね。
今はバイクに乗ったり治療もしながら、できるだけのことをやってみれば」と言われ、
あと3ケ月しかないけどやれるだけやってみよう!と決意しました。
それから、足の調子も徐々に良くなり、ちょうど100キロ完走に向けた3ケ月メニュー本をみつけ、
主にそのメニューに基づいてトレーニングしました。
さあ、いよいよスタート!
1キロくらい走ったところで、せっかく作った“ラップ表”がない!
腰にぶらさげていたのですが、落ちていました。それには、主なエイドまでの距離、ラップ時間など
わかるように一覧表にしてありました。ショックーー!!
足底腱膜炎の左足をかばった走りで膝にきたのか少し痛みがきました。
ひどくならないうちにサポーターをしていたら、同じガーミンの時計をしていることで
数キロ話しをして並走した男性が鎮痛剤をくれました。とってもありがたかったです。
73キロ地点のエイドで、足の指が少し痛むので靴下を脱いだら、親指に大きな水ぶくれが!
爪で穴を開けて中の水を出し、カットバンを二重に張り靴下も替えました。
そこで共にゴールを誓いあったHさんに会い、何とリタイアすることを聞きました。
とても残念な思い、そして「私の分までがんばって!」と励まされ、必ず完走を心に誓いました。
途中のエイドで次の関門まであと20分と言われ、これはもしかしてぎりぎり?と知り、
ラケット道路の上りも走り、平地もラップ7分30秒で走れる自分がいました。
そして、狼煙のエイドに制限時間ジャストの16時50分に到着!
ぎりぎり間に合ったと思ったのですが、係員が私の方に寄ってきて、
「関門はここの坂を上がったところだから、もう間に合わないね。ゼッケンとって。」と・・・
頭の中は???「走らせてください! 関門がこっちですか?えーーー!!何で?」
関門はエイドから激坂を5分ほど昇った禄剛崎灯台のところだったのです。
関門チェックの人は「グリコのおまけ」と言っていました。絶景を見せたいために、そこを関門としたのです。
無念の涙がこみ上げ、ちょうど音楽のバッテリーも切れ、ひとり能登最北端の海に向かって
悔し涙を流しました。一生忘れません。
あと5分。悔しくて、悔しくて、まだまだ体は走れました。でも、走らせてもらえない!
結局、力不足でした。
こんなにアップダウンの連続のコースだったとは! 平坦なコースであればゴールできていたと思います。
大会の翌日、再びコースを巡り、あらためて自分が走った長い道のりを振り返り、
不思議と気持ちもすっきりとし、100キロ完走はできなかったものの85キロを走れた自分を認めることができました。
何より、この大会で得たものは大きかったです。
いろんな人との出会い、ウルトラの魅力を知ることができ本当にチャレンジしてよかった!
そして、主人が完走できたことが何よりもうれしいです!
<ちぃ>
レース前日、走ろう会のメンバーと健闘を誓う!!
走友のSさんとスタート地点で出会う(ウルトラの達人・71歳)
早朝6時頃の見附島(スタートより8㌔地点)
エイドステーションで、選手を迎えてくれた子供達
75㌔地点(100㌔コース)を走る!
45㌔地点(60㌔コース)“禄剛崎灯台”
エイドステーションでもらった“珠洲の塩”
ゴール後にかけてもらった完走メダル(60㌔コース) 材質は珠洲焼きで手作り!!
頑張りましたねぇ。
僕も同じタイミングで門前辺りをのんびり自転車で走ってました。
楽しみ方はそれぞれですが、また能登を走りましょう。
次はのんびり自転車だね!!
お疲れ様でした。
本当に疲れましたね、一週間経ちますが、まだ痛いところが残っていたりして、ウルトラの厳しさを改めて痛感しています。
エントリーを決めてもちはるさんの足の調子が悪く練習が出来ない日々を私もある時は焦り心配しました。
今、思い出すことは、走っていた時は、夢心地でした。皆でエントリーして練習を重ね夏合宿も行き暑い諏訪湖も走り、百合公園を散策し、トップクラスの練習をまじかに見て震えあがった高原。
今は、勿論完走出来れば何も云うことはないけれど、
ひたすら自分で決めた夢に『時間』を費やしたことが
貴重な時間でした。ちはるさんと出会えことは、私を
何度も癒し助けて頂きました。ありがとう!