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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

機能する組織の演劇

2007-09-12 22:20:52 | 安全・品質
山下部長が田中課長に指示した内容は次の項目です。

①事故無く安全に
②品質に不具合を発生させること無く
③20日間で
④10名の人数コストで、定時以内に
⑤50台の冷凍機のメンテナンスを完了しなさい

山下部長はお忙しいので、この指示の後まったく別のことを考え始めます。田中課長はこの指示を受け、定められた期間を含め見事すべての要求を成し遂げました。山下部長はその旨報告を受け満足げです。作業の結果チェックは合格ということです。

さて、田中課長がどのような仕事ぶりですべての要求を実現したのかは、山下部長の頓着するところではありません。どこで休みを何回入れようが、ラジオを聴きながらであろうが、作業者と何時間も話し込もうが、休憩室の机にスポーツ新聞が置いてあろうが、ロッカーにカップラーメンやマンガ本が入っていようが、もっと言えば、Gパンで作業しようが、金髪であろうが、ピアスであろうが、作業結果においてすべての要求が満たされているのですから、山下部長に不満はありません。

項目には上げませんでしたが、要求内容には環境保全や省エネももちろん含まれています。見事遂行してくれた田中課長に満足し、山下部長は次の仕事を依頼することでしょう。そして田中課長はどのようなやり方であれ、再びすべての要求を満足する結果を出してくるのです。

山下部長の仕事は指示と、中間および結果チェックのみになりますから、雑事に気を取られることなく、数多くの本来業務に当たることが可能になります。田中課長は自らの考えで仕事を進めることができますから、思考範囲や視野が広がり、行動の自由度が増し、活動がダイナミックになります。

次に山下部長は野村課長に業務指示を出しました。指示を受けた野村課長は田中課長とはぜんぜん違う方法で業務に当たるかも知れませんが、何ら問題ありません。ここでも山下部長は仕事ぶりをとやかく言う気はありませんし、要はすべての指示要求を満足する結果を野村課長が出せばよいのです。

しかし、毎回毎回うまく事が運ぶとは限りません。ある時、メンテを終え納入された冷凍機に、ボルトの緩みがあったとユーザーからクレームが入りました。田中課長から報告を受けた山下部長は、わずかばかりの思案の後「再発防止をよろしく」と田中課長に指示し、ここでも作業内容を詮索することなく、再び自分の仕事に戻りました。冷凍機課のことは、もうすっかり念頭にありません。

ところが数日後、またしてもボルト緩みの不具合を出してしまったのです。それを聞いた山下部長は、これは作業工程の何処かに何らかの問題があるなと判断し、「頭」はここでようやく「手足」の動作に干渉することになります。調査命令を発動した結果、廃却したはずの古いチェックシートが十数枚紛れ込んでいたことがわかり、これを是正し、その後同様の不具合が発生することはなくなりました。そして冷凍機課は日常に戻り、安定的に高品質の製品をアウトプットする毎日を繰り返していきます。

以上、端的に語りましたが、これは機能する組織の原理を象徴的に表したものです。実際にはその他多くの事柄が複雑に絡み合いますので、このシミュレーションをそのまま現実に置き換えることはできません。しかし、順調に機能している組織とはこのような動作パターンであるということを、ムカデの逸話は示唆しているのです。
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安全保証、品質保証の肝

2007-09-03 22:27:09 | 安全・品質
安全保証、品質保証の最重要ポイントは「一度発生させた事故は二度と発生させない」こと、つまり再発防止である。これの積み重ねにより、事故は漸近線的にゼロに近づいていく。ISO9000もこれを中核思想としており、「是正処置」という用語で再発防止を定めている。

再発防止は事故の真の原因を究明し、その対策を打つことによって実現するが、このときの禁止事項は、原因を人に求めてはいけないということである。「不注意」や「思い込み」「失念」等は真の原因にはなり得ない。何故ならば意識には確実な再発防止対策を施すことが不可能だからである。作業者に、「不注意」「思い込み」「失念」があったとしても事故は発生させない、そのような対策を設けることが本当の是正処置である。すなわち、真の事故原因はシステムに求めなければならないということである。

◎事故は必ず起きる(恒久的にゼロにはならない)
「だから事故発生率の下限値を下げる努力が必要」

◎人為的ミスは事故の真の原因には成りえない。
(再発防止の観点から)
「絶対にエラーを起こさない人は、もはやヒューマンではない」

◎対策は、意識ではなくシステムに対して行わなければならない。
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ゼロの呪縛からの脱却

2007-08-31 22:01:19 | 安全・品質
我々は組織力をもって事を成す。企業において一個人によって成しえる仕事などまずありません。どのような成果も、組織を構成する個々の有機的繋がりによる総合力によって生み出されるのです。とするなら、柔軟にして活力あふれる組織が、組織のあるべき状態であることは言うまでもありません。この組織の活力は比較的シンプルな関数として表すことができます。一般に、規制を強化すると組織は停滞し、規制を緩和すると組織は活性化します。ここで大きなポイントとなるのは、理想を求め過ぎないことではないかと考えています。完璧な正義ではなく、ごく少数の悪を活力維持のためにあえて温存するのです。これは組織の懐の深さでもあるでしょう。

職場における「ゼロ災害」や「ゼロクレーム」は標語としてよく見かけますが、恒久的なゼロが実現し得ないことは科学的知見からも言えることです。航空機の墜落する確立は100万フライトに1回と言われています。実際、やっきになってゼロゼロと声高に叫んでいる職場ほど災害やクレームが多いのもです。ゼロは実現不可であると謙虚に認め、具体的な目標値を定めて、それをクリアする努力を地道に続けている職場こそが事故やクレームの発生率を低減させることに成功しているのです。

何故か。これは少し考えれば分かります。目標値には根拠があり、よって対策が具体的なものとなります。しかしゼロにはまったく根拠がありません。よって対策も根拠の無いものにならざるを得ないということですね。
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信用するスタンス

2007-08-25 21:49:00 | 安全・品質
管理者が社員に対して次のように言ったとしましょう。
「お前たちはいい歳をした大人だ。何が良くて何が悪いか、どんなことが危険でどうすれば安全か、自分で考え判断できて当然だ。自分の行動には責任を持て。我々が経験上知りえている重点事項や要点は教えよう、それ以外のことはすべて自分で判断して行動せよ。」

さあ大変なことになりました。社員たちのやる気や積極性が一気に活性化する反面、言われた通りではなく自分で判断して行動するのですから、結果に対しては自分が(も)責任を負わなければなりません。これは少なからぬプレッシャーですが、だからこそ社員は真剣に物事を考えるようになります。こう発言した管理者は「社員を信用する」スタンスに基づいています。どのような問題にせよ最終的にはすべての責任は管理者にかかるのですから、信用するスタンスに立たなければ、このように発言することはとてもできません。中には危うい部下もいます。しかしあえて信じてやるのです。驚くべき方法の発想や新技術の出現や、安全レベルの飛躍的向上の可能性はこの中にあるのです。

片や、社員の行動を微に入り細に入りこと細かく指示し、あるいは規制し、僅かなエラーも許さないとする管理方法があります。ルール違反はないか、サボっている者はいないかと、常に目を光らせ、パトロールし、時には個人のロッカーまで空けて中を調べる。このような管理者は「社員を信用しない」スタンスに立っていると言えるでしょう。社員は窮屈には感じても、とにかく言われたことさえやっていれば文句を言われることはないのだから、気は楽です。しかし社員個々の活力は著しく低下し組織全体を沈滞感と閉塞感が占めます。よって言うまでもなく、驚くべき方法の発想や新技術の出現や、安全レベルの飛躍的な向上の可能性は固く閉ざされることになります。

対照的な二つの管理方法とそれにより発現するものの差異。こういったことは安全のみにとどまらず、仕事の取組み方、進め方、会社人としてのあり方等、多くの事柄に通じることでもあります。
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安全保証、品質保証

2007-08-23 22:30:26 | 安全・品質
如何に事故を発生させないかという問題は、人間が社会活動を始めて以来、また生産活動を始めて以来、果てしなく長い時間を経て考え、検討され、対策が試みられて今日に至りますが、その方法論は地域、文化によって基本的考え方に異なりが見られます。

例えば日本においては、古来より「精神一統何事か成らざらん」「心頭滅却すれば火もまた涼し」など精神論に負うことが多く、「本質的に事故はゼロにできる」とする考えが現在も少なくありません。これに対し、西欧では、「本質的に事故は必ず起きる」故に事故発生を最小に抑える努力が必要であるとし、現在も安全保証、品質保障において、この基本論が大勢を占めています。この思想をベースとし、今や品質保障の世界基準となっているISO9000は有名で、日本でも大きな広がりを見せています。

方法の一つに熟達者のスキルに品質保障を負うというものがあります。例えば、免許取立てのドライバーは、ポンポンとよく車をぶつけますが、運転歴20年のベテランドライバーは滅多に車をぶつけるものではありません。この観点からは、品質保障を熟達者のスキルに負うことも、それなりの成果が得られる方法であると言えるでしょう。
(新米ドライバーが車をぶつけても、軽微なものが多い点は重要)

しかし、「人はミスをする」。この定義に間違いが無ければ、品質保障を個人のスキルに負うことは基本的に間違っています。重要なのは事故発生率低減の限界点をいかに下げることができるのかということで、スキルに負う方法ではさほど大きく下げることは困難でしょう。同一の作業を熟達者が行っても新米が行っても、時間の差は発生しても、不具合や事故の発生率は同じであるという「システム」を構築し、そのシステムに品質保障を負わなければ限界点を大きく下げていくことはできません。

交通事故に見るシステム改善の実例

安全運転はドライバーである人にゆだねられます。よって車の運転による交通安全は人の意識に負っている端的な例といえます。だから交通事故は減少しないのです。ところが交通事故死亡者数はある時期を境に急激に減少し始めました。これは車にエアバッグが搭載されたことによります。事故件数は減少しないものの、事故死者数は減ったのです。このことは、人の意識には対策が打てないが、システムには対策が打てるということを明示しています。

 もう一つ例を上げましょう。あるシステムを改善することによって高速道路の発生事故件数が半減したのです。これは道路交通法を変えて、大型トラックの追い越し車線走行を禁止したことによります。この事例は、ルールというシステムに対策を打った結果です。この二例は、事故対策の手法としての意識喚起とシステム改善の比較において、システム改善の方が遥かに「効果/努力」レシオが高いことを物語っています。
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ムカデの苦悩(ホロン革命)

2007-08-12 00:02:16 | 安全・品質
有名な一つの逸話を紹介します。たくさんの足を持つムカデが上手に足を動かして歩くので、「正確にはどういう順番で足を動かして歩くのですか?」とたずねられ、その瞬間にムカデは身動きが取れなくなり、とうとう餓死してしまったという悲しい話です。

この話になぞらえて私たちの動作を考えて見ます。人は日常の動作をほとんど無意識に(動作の仕方まで考えずに)行っています。例えば自動車の運転を例として見ますと、直線道路を巡航していてカーブにさしかかったときには、右足がブレーキを踏んで減速し、次に左足がクラッチを踏んで、左手でシフトダウン、そして右手がハンドルを適正にきって、車はスムーズにカーブを曲り抜けていきます。この連係動作において、頭の仕事は“安全にこのカーブを曲り抜けたい”と思うだけで他には何もしません。あとは頭の意向を手足が受けて、それぞれの役割を適正に実行して目的をスムーズに実現しているのです。
(正確には、手足につながる頭の中の「運転」サブルーチンによって)

遠い昔、自動車教習所の教習生だった頃を思い出してください。なぜあれほど苦労して、しかもギクシャクしながら運転していたのでしょう。あの頃は、まずクラッチを踏んで、次にギヤチェンジして、と頭がフル回転しながら手や足に事細かく命令していたのです。もっとも当時は手足が十分に自分の役割と仕事を覚えていなかったのですから、これは致し方ありません。しかし運転のベテランになった現在でも、もし手足の動作を意識しながら運転したらどこか円滑さに欠ける動きになるでしょう。

これをピラミッド型の組織に置き換えて一般化しますと、組織が円滑に機能するためには、頭が手足に意向を伝えたあとは手足に任せ、彼らの動作にまで干渉してはいけないということです。動作結果のチェックはもちろん必要であり頭の仕事です。(もし結果が不十分であれば、頭は手足の動作を矯正しなければなりません。)しかし日常的に彼らの動作そのものに過ぎた干渉をすれば組織は全体として身動きの取れない状態になってしまうということです。
コメント (4)
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