今日は、3.11、東日本大震災の日だ。もう14年も前になる。
14年前のこの日、私は思いがけずタイのチェンマイに滞在していた。ある意味、危機一髪で被災を逃れたのかもしれないと思っている。
その後、私がそこで出会った日本人女性数人と同じ時期に子どもを授かったことを考えると、あの恐ろしい震災の悲劇から遠く離れた異国に居たこと、原発事故の被害を極力避けられたことは、時が経てば経つほどただの偶然だったとは思えない、人生の大きな分かれ道だったと思う。
当時私は3.11の2日後にタイから日本に帰国する予定だった。その2週間前までアメリカに半年間、その前はオーストラリアに一年半滞在していて、その全てが終わり、東京で新たに部屋を借り、職探しをする予定だった。だけどその前に急遽タイのチェンマイで、とあるリトリートに参加することになった。そしてそのリトリート終了日前日に震災が起こり、私はそのまま3ヶ月間タイでの滞在を延ばすこととなった。
このリトリートは、ダークルーム・リトリートという、11日間完全な真っ暗闇の中で、食物を取らずに過ごす、というものだった。
このリトリートを知った時は、一生に一度は体験してみたい、と思ったけれど、何せこのリトリート、チェンマイにあるタオ(道教)のマスター、マンタク・チアが主催しているセラピーリゾート施設、タオ・ガーデンでしか行えない。まず、建物に光が完全に入らない特殊な換気システムを備える必要がある。そして心身ともに危険を伴う可能性もあるので、西洋医学と東洋医学の医者やセラピストが多数常勤しているこの施設で、このマスター・マンタク・チアか、オーストラリア人の不食マスター(ブレサリアン)のジャスムヒーン女史しか指導ができる人はいなかった。
このマスター2人が年に1回ずつしか行わないリトリートで、一回の参加者が約50名ほど。5年先までキャンセル待ちリストは一杯。新規は受付けていない状況だった。
私はこの何年か前に日本でジャスムヒーンの講演会に参加したことでこのリトリートを知ったのだけど、そんなわけで初めから参加は断念していた。
だけど、この時私はアメリカのビザの期限が近づき、日本に帰国しなければならなくなった段になって、突然このリトリートのことを思い出した。
調べてみると、私のアメリカ出国日が、タイでちょうどこのリトリートが始まる前日だったのだ。
私はなぜかこれを運命だと直感し、「キャンセル待ち5年でも、直前のキャンセルがあった場合、繰り上げ参加者は見つからないかも」と思ったのだ。
特にジャスムヒーン女史は、ノルウェー出身のオーストラリア人で、彼女の本の出版や講演会はヨーロッパやアメリカなど欧米が中心で、リトリート参加者もそれらの国の人たちが大半と聞いていたし、それらどの国から来ても最低でも2週間はかかる。
こうなったらリトリートの当日か前日に、直接タオ・ガーデンに行って、もし急なキャンセルが出て空きがあれば参加させてもらえないかと、直談判しに行くしかない。リストに載っていない私がいくら問い合わせしても断られるだけだ。直接行ってしまうしかない。
もしキャンセルがなくても、1人くらい参加させてもらえるかもしれないし、それでも駄目なら、初めてのタイだし、観光でも楽しんでから日本に帰国すれば良いのだ。それはそれで良い。ダメ元で行こう!
という自己完結?ストーリーが瞬時に浮かび上がっていた。
流れに乗っている時は、全てが勝手に整って、なんの迷いもなく気がついたら行動している。この時もそういう感じだった。
ダークルーム・リトリート参加しか頭になかった私は、失礼ながらタイについては何一つリサーチをせず、まずはタオ・ガーデンの住所だけを握りしめ、アメリカからタイに飛び立った。バンコクを経由し、チェンマイ空港からタクシーでタオ・ガーデンに直行したのだった。
⭐︎写真はリトリート参加者とタオ・ガーデンの庭で。