つれづれなるままのシモーネ

つれづれなるままに日暮らし薬あおりて

チキングラタン

2020-02-15 22:09:00 | 日記
30年以上はやっているであろう近所のピザ店のそれを頼んだ。

 コンビーフのピザ、チキンのグラタン、カレーピラフである。

 普段は電話で注文するのだが、今日は初めてアプリを経由した。Uber Eats ではないが、それに似た、出前館、というアプリを使用した。電話を取りに行くのも怠くて煩わしかったし、スマホの携帯電話は定額の無料通話プランをやめてしまったのでスマホのアプリを、利用した。

 もはや、単純な音声通話であればSNS のメッセンジャーアプリを使えばよい。FacebookなりLINEを使えば良い。セキュリティー上の懸念などが心配されれば、最低限の担保として電話を利用する。その電話でさえ、会話の秘匿性がどこまで担保されているのか確証などありはしないが、少なくともSNS アプリで情報を抽出される恐れを抱くよりはまだマシ、その程度だ。

 それはともかく、ピザ屋の主人に、電話と出前館の注文で差はあるだろうかと問うてみた。「最近の若い人は」電話であれ出前館であれ、地番やマンション名が明示されておらず配達するのに苦労する、それには変わりないそうであるが、出前館のユーザーは、電話注文の客以上に、無口な者が多い、そういう話であった。

 とにかく玄関を最低限開けて、お金と物のやり取りをする、そういう具合だそうだ。私など10年以上の客だから、「今日は暑い寒い」だの「台風の予報だから今日は早く店仕舞いしようと思っている」だの「消費増税で値上げはしないのか」などとざっくばらんな話をする。

 最近の若者、特にその出前館のユーザー、というのには、そういった世間的なやり取りが皆無らしい。まあ言われてみれば、私は幼い頃から同じ地域に住んでいて、東京からのベッドタウンということもあった駅前には各種飲食店が揃いちょっとした時に出前を頼む、などという習慣は、親の頃から当たり前のようになされていてそれを間近で見て育った。蕎麦や丼物の器にしろ寿司屋の桶にしろ、「最終的には店の人がきちんと洗い直さなければ使い物にならないのだから私達が食べてそのままでも構わないかもしれないが、ただ本当に食べたまま、というのもだらしがないので、水を流しながら軽く汚れを取ってから外に出しなさい」、そういうことまでいいつかってきたものだから、店の人が来れば軽く挨拶ぐらいは交わして、時間が許せば多少の世間話はする。昔はよく喫茶店であったろう主人がデリバリーピザに特化して店を続け、主人と客との唯一のコミュニケーションの場がその商品の受け渡し時にほかならないからだ。店の者も無口を貫きたくてそういう商売になったら無言のコミュニケーションでも構わなかったのかも知らないが、そうではなかった、むしろ、そのほんのわずかな時間にコミュニケーションを図りたいタイプであった。だから出前館の相手の無口が不満のようだった。

 出前館アプリを利用する今時の人間からすれば、大手チェーン店のデリバリービザと変わらず、ただ自分の食べたい物を配ってくれればそれでいい、そういうことなのかもしれない。あるいは地方からの上京者も少なくない土地柄、私が子供の頃から慣れ親しんだように、ちょっとしたコミュニケーションのためにあるのだ、そういう発想にもあまりならないのかもしれない。

 塩の効きすぎていない自家製のホワイトソースと、日本人があまり好まない鶏胸肉の裂き身を、味わいながら、ぼんやりとそう思った。

寒さ

2020-02-15 18:53:00 | 怠さ
日本のこの時期で何をしていても気分良いことなど一切ないのだ。全てが苦痛だ。
 昨年の今頃、那覇を訪れマトリに逮捕されて那覇拘置所に3月半ばまで拘置されることになったが、那覇拘置所の三畳一間の独居房の方が遥かに居心地が良かった。
 余計な物は一切無く、トイレは目の前、食事派目の前まで配膳され、食後に服薬をすれば布団を敷いて昼寝さえ許された。
 風呂は急かされたが、勝手に湯の準備をしてくれるし髭剃りも用意してくれた。タオルもバスタオルも同じ1枚で、洗濯物も独居房で待っていれば勝手に持っていってくれるし、気がつけば畳まれて帰ってきたものだ。
 冷房も暖房も要らず、少し窓を開けて風を感じ雨を感じていればそれでよかった。
 読書カードが配られ適当に選べば本も運ばれ返却の必要もなかった。
 マトリに会うにしても検事に会うにしても弁護士と接見するにしても親父緑色の衣服で済んだ。
 検事に媚び諂う必要も無く、自分より能力が下だと覚れば検事の揚げ足を取り署名捺印も拒否して検事無能力さを煽り検事を逆上させて悦に入っていれば良かった。
 ヒヨドリに蜜柑を与えて戯れることこそできなかったが、那覇の生温かさの方がはるかに居心地がよかった。

 この時期、高級で無くともよいが台北にでも行けばサービスアパートメントでもあるだろうか。

 師匠には年金が月額千ドルあるならベトナムで高級外国人をすればよい、と言われたが、果たして千ドルでどこまで可能であろうか。何も高級な物は欲していない。ただ細かなコミュニケーションも面倒なのだ。

 月額千ドルの年金ならばパナマの年金ビザが取得できるらしい。しかしそうすると医療はどうするのかという問題に直面する。

 アジア諸地域も緩やかに発展していってインフレが起こる心配もある。となれば、日本の115,000円の年金など端金で沈没する可能性もある。

 いずれにせよ気怠いことかこの上なく。

怠さとの闘い

2020-02-15 18:20:00 | 怠さ
コーヒーを淹れて飲みたいなと思う。ネスプレッソではない。コーヒー専門店やスーパーで売っているレギュラーコーヒーを自分で淹れて口にしたい。
 しかしそれをしたらまたくたびれて横になってしまうのではないかと思われて動くに動けない。
 人が訪れればそこまで体調が悪そうには見えない、とよく言われる。
 人が訪れるというのに散らかったままではあまりにも汚いと思うから最低限の見てくれを維持しようとしている。
 人を訪ねれば仕事でもできるだろうにと口にされる。わたしの愛する祖母であるから多少無理をして訪ねているのだが、その気持ちを汲むことは難しいらしい。
 頻繁に上京して仲の良い弟夫婦を訪ね、義妹とは観劇によく行っていたが、ある時から体力を理由について上京をしなくなった。程なくして義妹も世を去った。
 上京できなくなる寸前にまで私の体力も衰えているのだが、そこを察することができないようだ。
 私が祖母の元を訪れても1時間もすれば自室に戻り横になる。食事時になれば出てきて食事を終えて小一時も建てば夜の床に就く。
 通院も面倒がり、外に出るといえば自宅の庭を手押し車に寄り掛かって外の景色を眺めるのみである。
 私もほぼそれと変わらぬ状況であるのだが、自分で車が運転できる時点で祖母からすれば私は至って健康に見えるのであろう。

 この倦怠感。

食欲のようなもの

2020-02-15 18:04:00 | てんかん
この癲癇様の発作が起きる前後は無性に食べたくなる、美味しいものを大いに食べたたいという訳でもなく、ただ腹を満たされたいという様な感覚で、食欲とはまた違う。腹が満たされればいいという態の物なので腐っていたり余程に不味くない限り厭わない。過食症というのともまた違う気がする。
 なんとも悲しくなる体調である。

夕方の服薬

2020-02-15 17:15:00 | 服薬
夕方の服薬。

イーケプラ 500mgx1
トフラニール 25mgx1
イコサペント酸エチル 300mgx1
コンサータ 18mgx1
ベタナミン 50mgx1
リスペリドン内用液 0.5mgx1
デパス 0.5mgx2
ロキソニン

横になり続けていて腰が痛い。