で、先ほどまでSONGS で見ていた尾崎豊。本人はもうこの世にいなくても、たくさんの若いアーティストが彼にリスペクトを寄せ、カバーしていた。現代の音楽は、アイドルに限らずフェスやイベントで束売りされ、パッケージとしての形ある著作物は敬遠され、形のない。音楽配信が主流になり、彼のようなカリスマはもう出て来ないだろうと思っている(もちろん、尾崎をカバーするようなアーティスト立ちには皆カリスマ的な片鱗は階まみえるが)。そもそも音楽がテレビと切り離され、ネットでのブームでは潜在的にそのアーティストのファンになる可能性があっても、リーチできなかったらそれで終わり。
と言っても、別に私は尾崎のファンと言う訳ではない。そもそも音楽作品とアーティストを分けて考える、と言うクールさが子どもの頃からあり、10代で感化された音楽によって生涯の好きな音楽が決まることにはならなかった。少なくともアイドルに関しては、今でもどんどん新しいアイドルを探しにいく。(ちなみに、午前中には阿久悠・都倉俊一と言う、昭和歌謡の重鎮の番組も見た。残念ながらこのコンビは同時代だが、自分を作ったとは到底言えない。山口百恵もピンクレディーも当時から興味はあまりなかった。もうその頃には半分洋楽に顔を突っ込んていて、歌詞にとらわれない聞き方をしていた)
我ながら中途半端なんで議論だ。別に10代で衝撃を受けたアーティストにのめり込んで神格化するつもりはない(つまり、趣味志向が偏ってしまい、新しいものを受け入れられなくなる)一方で、尾崎のようなカリスマ性のあるアーティストにいてもらわないと、音楽シーン、若者カルチャージーンが不健全になるとも思っている。少なくとも、政治家がカリスマになると、トランプみたいに自国民だけのことしか考えない、よそから見たらわがままし放題のやんちゃにしか思えない。音楽者なら、もっと国境を超えて、多様性の中での中心、象徴と言うポジションは可能てはないか、と言う気はしている。
ネットの時代にもかかわらず、なぜかカリスマを産む場所がある。それがスポーツ。前回は災害と絡めて論じてみたが、多少無理はあった。スポーツから音楽と同様な感動、衝撃、影響などを受けるのはいいし、それで日本が災害に苦しむなか、立ち直ろうと言う力を与えているのなら、もちろんそれは素晴らしいことだ。ただ、カリスマは神格化で偶像崇拝になると、敵を作るし、外側からの見え方がどうなつているか見えなくなるのはこわいことだ、と思っている。
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