DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

民主主義弱体化の底辺

今回はもう都知事選挙のエセ政見放送はやめた。かつてはマイノリティが考える民主主義を泡沫候補が代弁していた、という感覚があるが、今や泡沫候補はネットの誹謗中傷とスパム的営業メディアを供託金で買っただけの候補者しかいない。小池vs蓮舫も完全に劇場化してしまっていて、つまらない派閥闘争の蚊帳の外の、清水国明氏に頑張ってほしいと思っている。
アメリカ大統領選挙も全く同じ。どちらを応援したいもなにもない、二人しか実質的な候補がなく、しかも若いトランプさえ78歳。なんでこんな二人から選ばなきゃならないのか。国際情勢を脇に置いても、アメリカ国民がかわいそうだ。
そんな中、多少の希望はイラン大統領選挙。保守強硬派が2人いて、票が割れそうな気配。まあ過半数に届かないと決戦投票になるのだけど、それでも強硬派対欧米対話派の決戦になれば、中東全体への影響も大きいだろう。
で、ここ最近は民主主義の弱体化の話が続いたが、結局、私たち自身の足元=家族の弱体化が原因なのか?と、「寅に翼」を見ていて思うのだった。あのドラマで、猪爪家と大庭家の対比で見事に描いている。
家族崩壊自体は、20世紀末(あるいは、バブル期)には始まっていたと思う。少なくとも、この頃には消費傾向が家族消費から個人消費に移りつつあった。SNSがそれ以前に始まったとしても、書き込むのは専門家やテレビCM延長上の広告くらいで、今のように隆盛することもなかっただろう。ネットでの誹謗中傷の類いは、家族崩壊の表面化の一つだと最近は考えるようになった。
大庭家のように、家族の中でさえ揉めるような経験が積み重なれば、国民同士の対立を煽っても罪悪感など感じない人物が増えるのも仕方ない。
政治の腐敗を検討する前に、家族と言う最小単位の共同体を立て直すところから始めないといけないのかもしれない。
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