「DIY防災(ネットワーク)」

2011年4月1日、広く一般市民の皆様にDIY防災情報を送る発信基地として発足。各地で数多くの防災・減災指導を実施。

「閖上(ゆりあげ)」に魚市場が再開(再会)しました。

2012-02-04 16:19:41 | 日記
  名取市の「閖上(ゆりあげ)」に魚市場が再開(再会)しました。嬉しいですね。
少し、内陸の方で再開したようです。
確かに、昨年10月の名取・閖上海岸を見た限りでは、昔の場所では無理だと思いました。


宮城県仙台市の若林区と、名取市の「ゆりあげ」地区は川を挟んで隣接していますが、
全体が、丸で大平原のようで、今までの日本で、かつて見た事のない・・・でした。  
                  

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 2011年10月27日に閖上に行った時のブログを、最掲載いたします。
いろいろな、被災地があります。夫々の町が問題を抱えています。
せめて、どの町がどこにあるのか・・・地形によって被害がどう違ったのか、知って下さい。
 
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 「ゆりあげ」に入ってすぐ、たぶん海から4キロ位の国道の脇まで、漁船が流されていました。
私の知っている「ゆりあげ」の過去の姿が全く分からなくなって、数人の地元の方にお聞きしてしまいました。
「水門」と「貞山堀」の跡が見えて、何となく位置関係がわかりました。
名取川も、海も、立入禁止で、釣り人の方を除いては、見る事すらできませんでした。
車で橋の上を走る僅かの間だけ、名取川と太平洋が見えました。

           

  朝7時、海から2・4キロの「閖上小学校」に行きました。
閖上小学校の廊下には卒業式を真近に控え「卒業おめでとう」の飾り付けが・・・体育館の時計と同じく時間が止まっていました。
体育館には、思い出の品々が展示されており、家族写真を探している方とお話ができました。
学校のすぐそばにお住まいの方で、津波は胸の高さまで、来たそうです。
アルバムや、写真を洗って綺麗にしてファイリングして下さるボランティアの方々がいて、
毎日、ご自分の家族の写真を探しに来ているんだけど、見つからないのだそうです。

               

 「閖上小学校」から数キロ海に近い「閖上中学校」の校舎の時計が、被災時間で止まっていました。
正門の前に慰霊の「寄せ書き」があり、14名の亡くなられた生徒さんに「いつも一緒だよ」と書かれていました。
涙が溢れてきました。正門の「希望の松」が凛としてて、又、生徒さんを力付けるかのようにコスモスが咲いていました。

           

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