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[伝道者の書 5:1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20] 神の宮へ行くときは、 自分の足に気をつけよ。 近くに行って聞くことは、 愚かな者たちがいけにえを献げるのにまさる。 彼らは自分たちが悪を行っていることを 知らないからだ。 神の前では、軽々しく 心焦ってことばを出すな。 神は天におられ、あなたは地にいるからだ。 だから、ことばを少なくせよ。 仕事が多ければ夢を見、 ことばが多ければ愚かな者の声となる。 神に誓願を立てるときには、 それを果たすのを遅らせてはならない。 愚かな者は喜ばれない。 誓ったことは果たせ。 誓って果たさないよりは、 誓わないほうがよい。 あなたの口が、 あなた自身を罪に陥らせないようにせよ。 使者の前で「あれは過失だ」と言ってはならない。 神が、あなたの言うことを聞いて怒り、 あなたの手のわざを滅ぼしてもよいだろうか。 夢が多く、ことばの多いところには 空しさがある。 ただ、神を恐れよ。 ある州で、貧しい者が虐げられ、権利と正義が踏みにじられているのを見ても、そのことに驚いてはならない。その上役には、それを見張るもう一人の上役がいて、彼らよりももっと身分が高い者たちもいるからだ。 国にとっての何にもまさる利益は、農地が耕されるようにする王がいることである。 金銭を愛する者は金銭に満足しない。 富を愛する者は収益に満足しない。 これもまた空しい。 財産が増えると、寄食者も増える。 持ち主にとって何の成功だろう。 それを目で眺めているだけだ。 働く者は少し食べても多く食べても、 心地よく眠る。 富む者は満腹しても、 安眠を妨げられる。 私は日の下に、 痛ましいわざわいがあるのを見た。 所有者に守られていた富が、 その所有者自身に害を加えることだ。 その富は不運な出来事で失われ、 息子が生まれても、その者の手もとには何もない。 母の胎から出て来たときのように、 裸で、来たときの姿で戻って行く。 自分の労苦によって得る、 自分の自由にすることのできるものを、 何一つ持って行くことはない。 これも痛ましいわざわいだ。 出て来たときと全く同じように去って行く。 風のために労苦して何の益になるだろうか。 しかも、人は一生、闇の中で食事をする。 多くの苛立ち、病気、そして激しい怒り。 見よ。私が良いと見たこと、好ましいこととは、こうだ。神がその人に与えたいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦にあって、良き物を楽しみ、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。 実に神は、すべての人間に富と財を与えてこれを楽しむことを許し、各自が受ける分を受けて自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。 こういう人は、自分の生涯のことをあれこれ思い返さない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4–2–3号 [ホームページ] https://graceandmercy.or.jp/app