著者 吾峠呼世晴(Koyoharu Gotouge )
次の段落以降には『第66話 黎明に散る』に関する感想と、とあるキャラクターの台詞に関する記述があります。現在公開中の映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編」の内容でもあります。漫画や映画をこれから楽しみたい方は、この記事を読むかどうかを考えてから読んでください。
私は「鬼滅の刃」のファンではないし、好きなキャラクターもいません。とても話題の作品なので、(どんな話なんだろう)と思って読みました。
この漫画を読んで、とても心に残ったセリフがあったので、この記事の一番下に引用します。
このセリフまでの流れがあり、この後のストーリーがあるからこそ、胸に響くセリフなんだと思います。
これは私の解釈ですが、このセリフは蹲ることを否定する言葉ではなく、「自分の感情の全てを認めて、その感情を内に持っているからこそ、前に進む強さを得る」ということではないでしょうか。蹲る時ほど、強く何かを感じているのではないでしょうか。無力感や悲しみの感情に巻き込まれずに、なぜ「無力感」や「悲しみ」を感じているのか・・・そうした自分の核を知ることが出来れば、蹲っているように見えても、人は成長していくのだと思います。つい、条件反射であらわれた最初の感情に巻き込まれやすいので、このセリフは耳に痛かったセリフでもあります(苦笑)。
炎柱の煉獄 杏寿郎の言葉(『鬼滅の刃』8巻、p.93より引用)。
「君が足を止めて
蹲っても
時間の流れは
止まってくれない
共に寄り添って
悲しんではくれない」