NGB第三回江戸ガイド「神田と日本橋の境を歩く」 実施報告

2008年02月17日 | 活動
2月16日(土) お天気は晴。気温が上らず寒い日でしたが、全員無事にゴールに到着いたしました。

午後1時30分大手町に集合、先ず神田橋で神田橋御門・御成り道、橋北詰の物揚場碑前で江戸都市開発発祥の地鎌倉河岸を説明して散策を始めました。鎌倉橋から竜閑川の河口が確認できます。竜閑川は江戸の昔から神田と日本橋の区界でした。

白酒の「豊島屋」の賑わいを偲び、竜閑橋から竜閑川跡の細い路地に入ります。右側の建物に中央区日本橋本石町4丁目2、左に千代田区内神田3丁目1の町名板。ここで先ず「オヤ、面白いね」の声。モンドならぬモントの主水河岸から今川焼きの今川橋。ここで一旦竜閑川から離れ、日本橋の町へ。室町3丁目の交差点で十軒店跡を眺め、オランダ商館長の定宿長崎屋跡、将軍家御印判師佐々木印店、鐘撞堂新道を辿って地蔵橋公園で竜閑川に戻りました。

十思公園は小伝馬町牢屋敷の跡です。ここに石町の時の鐘が移ってきており、吉田松陰終焉の地碑もあります。大安楽寺には処刑場の跡、小伝馬町、大伝馬町、馬喰町、初音の馬場など馬にまつわる地名の説明をして鞍馬橋から竜閑川児童公園。竜閑川はここから南下して浜町川となり、大川へ注ぎ込んでいました。

竜閑川跡の路地をを戻って元吉原から続く大門通りを北上すると、藍染川に架かっていた弁慶橋跡。お玉稲荷から鍛冶職人ふいご祭りの金山神社。染物職人の町紺屋町は、「場違い」という言葉を生んだ町です。北乗物町は江戸の当時珍しい片側町。ご存知千葉周作の玄武館跡には、廃校になった千桜小学校の側門を開けて入ります。

藤堂和泉守屋敷に名前を由来する和泉橋、古着屋と夜鷹で知られた柳原土手から柳原神社へ。柳原神社は大田道灌が鬼門除けにお祀りしたお社で富士講とも深いかかわりがありました。

神田川で一番若い橋、神田ふれあい橋を渡って、佐久間橋跡が今日のゴール。佐久間橋は、明治時代秋葉原に貨物取扱所が開設された時、神田川から駅構内まで掘られた荷物運搬用の水路に架けられた橋です。

麹町平河町1丁目(神田へ)や三鷹市上・下連雀(神田から)の代地の話、アキハバラ?アキバハラ?の地名の由来などで盛り上ったところで解散となりました。

参加者の皆様それぞれに歴史探訪の町歩きを楽しんでくださいました。ガイドをした私たちも、NGBの皆様からの次のご要望が楽しみです。

本日のメインガイドは穴井、サブガイドは越智でした。