人の心は一刻と変わると思います。心が少しでも落ち着けるよう感謝想起しながらの日々です。10日ほど前だったかな?「懸命に」という言葉がふっと頭に浮かびました。音楽の面でもそうでない日常からでも、逃げることが多かったような気がします。それが、この時代、この時期になってあぶり出しのように思い出されるときがあり、今、少しでも自分の弱い所を見詰め奮闘中です。自我の強くて弱い私は、昔、スピリチュアルと言われるもっと前、般若心経を書きまくりました。1000枚は書いたでしょうか。それは、般若心経を書き先祖供養をすると言う事でした。何度も何度も書いては供養しました。
そして、それがひと段落したころ信仰宗教に友達に誘われて入りました。心に隙間があった頃です。そして、出家のような形でホームで暮らしました。両親、兄弟、一足先に脱会した友達の懸命な行動で、無事に脱会できました。
厳しい現実と向き合えていなかった、自分の力で挑戦していなかった結果だと思います。
それから、10年くらい自分なりに紆余曲折を経ながらも、一人暮らしで生計をたてて自分なりに頑張りましたが、生真面目で、人前では明るく過ごすのに、根っこの部分ではとても孤独で暗い所があり、人には弱みを見せれない私は、あることがきっかけでうつになりました。どうしようもない暗闇に入り込みました。それでも、両親や兄弟の献身的なサポートのおかげで何とか元気になり、その間、並行してお付き合いをしていた主人と無事に結婚することが出来ました。
見ず知らずの土地での新生活でしたが、何でも一人でやらなければいけなかった時代が長かったので、主人との生活は楽しいものでした。ただ、以前頑張りすぎて自分を責めてうつになった経験があるにもかかわらず、知らず知らずのうちに慣れない主婦を頑張り過ぎたのと、うつになったことを隠して結婚してしていたことなどがストレスとなり、不眠からまたうつになりました。
体調不良とだけ主人に伝え実家に帰った私は、前にもましてひどいうつになりました。暗闇に加えそれは正に地獄の日々でした。近所にも隠しながらの引きこもり、薬の大量投与、離婚されるかもわからない底知れない恐怖。
それでも、何か月も主人に対してこのままではいけなくて、とうとう実家に何か月ぶりに会いに来てくれることになりました。その時、主人に兄弟が初めて私がうつであることを話しました。高速のサービスエリアで電話をした時です。変わり果ててしまった自分を見せるのが急に怖くなってしまったのです。それでも、主人は来てくれました。実家とは少し離れた場所で待ち合わせをしました。主人の車を見たとき、私は自分が乗った車から出られませんでした。変わり果てた自分を見せられなくて・・・。それでも、勇気を出して車から出た私を主人は抱きしめてくれました。私と共に闘い続けてくれた親、兄弟もその瞬間を共有しました。
続く・・・。
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