「ビリーのソロ・デビュー作『コールド・スプリング・ハーバー~ピアノの詩人』(1971年)はセールス的に失敗、初のアメリカ・ツアーも途中で打ち切られたため、ビリーは“ビリー・マーティン”という芸名を使い、ロサンゼルスやサンフランシスコでピアノ弾き語りをして生活していました。
しかし、1972年4月のフィラデルフィア公演で演奏された「キャプテン・ジャック」のライヴ音源が、同地のFMラジオ局WMMRでオンエアされ大評判となり、その音を聴きつけたA&Rを介して、1973年のコロムビア・レコードとの契約に至ったというのはファンの間では有名エピソード。
このLIVEがあってこそ、この『ピアノ・マン』が生まれ、現在のビリー・ジョエルがある訳なのです」
(レガシーエディションの解説より)
その失敗したファーストアルバムのジャケ写がこちら・・・