感動的な体験談ですね。
障害者の方が、自身の障害を受け入れ、前向きに人生を歩もうとしている姿は
我々健常者にとっては非常に勇気になりますし、学びになります。
Sさんは、目に視力を失うのですが、体験談から伝わってくるSさんの
心、思いはとてもストレートで純真さがわかります。
私たちは目が見えることによって、逆に心を汚しているのではないかとも
思えてしまいます。
障害者の方にとって、大川総裁の真理が人生における救いになっている。
一人でも多くの方に今世、主の仏法真理に知ってもらいたいですね。
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体の障害(中途失明)を乗り越える【体験談】
2017.03.31
https://happy-science.jp/info/2017/24452/
失明しても、理想は描ける。努力もできる。
高校生の頃に視力を失ってしまったSさん。それまでの夢がついえるも、盲学校での新しい生活をスタートさせました。幸福の科学との不思議な縁に支えられながら、前向きな努力によって明るい人生を開いていったSさんの軌跡をお伝えします。
(Sさん/男性/隔月刊「ザ・伝道」第113号より転載・編集)
人一倍の努力は決して無駄にならない
家業を継ぐ夢
私はみかん専業農家の長男として生まれました。子どもにとって果樹園は格好の遊び場で、小学生の頃は木登りに夢中になりました。木に登れば登るほど高くなってしまう空や、遠く海から吹いてくる風の気持ちよさ、どこまでも広がる景色に吸い込まれ小さくなっていく自分──。自然の底知れぬ大きさを感じ、中学生の頃には、「将来、立派な果樹栽培者になろう」と決意し、自ら進んで農業高校に進学しました。弁論大会で農業の今後の展望と自分の夢について語り、県の最優秀賞を受賞したこともあります。すべてが順調のはずでした。
突然の視力低下
高校2年の秋の日。夕方、急に黒板の字がぼやけてきて、よく見えなくなりました。その日の朝までは普通に見えていたのに、です。それまで両目とも2.0あった私は、近眼とはこんなに早く進むものなのかと驚き、町医者で診てもらいました。視力検査の結果は、左目が0.01、右目が0.9でした。翌日、私は学校を休み、紹介された国立病院に行きました。
「視力は低下していますが、視神経の病気の場合、片目にきても両目とも悪くなることは少ないですから大丈夫でしょう」
それからは、検査のために毎日通院することになりました。目に痛みもなく、はじめはそんなに深刻な病気だとは思っていませんでした。ところが、日に日に信号の色が分からなくなり、通院の道のりが怖くなってきました。このまま見えなくなるのだろうか――。大丈夫だと言われていた右目までどんどん視力が低下し、2週間後には、急遽、大学病院に入院することになりました。
視力がゼロに
入院中は、検査と集中治療の毎日。視力は浮き沈みを繰り返しました。入院から1カ月、ついに視力がゼロまで落ちました。心配した親戚や友人がお見舞いに来てくれましたが、私には誰が来たのかもよく分かりません。両親は相当ショックだったようで、仕事も手につかないと聞かされました。担任の先生も、私の病気を聞いて一晩泣いてくれたそうです。でも、私にはどうすることもできません。「将来は自分もみかんをつくる」と言ったときの父の嬉しそうな顔が、何度も、何度も頭に浮かびました。
約7カ月後、なんとか視野の外側がわずかに見えるようになったものの、それ以上の治療効果は見込めず、退院して自宅療養することになりました。
以下、詳細は本サイトでご覧ください。
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