Funk's life

イチニチイチゼン。

ベース職人紹介Vo.3 ~William”Bootsy”Collins~

2011-04-04 | 音楽
最強のファンクベーシスト、ブーツィー・コリンズを紹介します。

その存在がもはや伝説、JBの名曲Sex Machineでの演奏は、忘れられません。

今回は、そんなブーツィーにFunkの基本を教えて頂きましょう。



ゆーのー? 練習でどうにかなるのでしょうか


親戚のスヌープ・ドッグと共演してます。(ブーツィーは、おじだそうです)

時代が変わっても、ブーツィーは不変ですね。(いつも、ゆーのー言ってるし)


あのメガネほしいな~  ファンクは永遠に不滅です・・・・Funk is life 。





春ですね ~本日も開店休業也~

2011-04-02 | 日記
殺風景な事務所の片隅に小さなお花が咲いていました。

やさしく応援してくれてますね、ありがとう。



最近、被災し深い悲しみに傷ついた子供達の写真や映像をよく目にします。
悲惨な光景は一通り報道され、対象がより同情を誘う小さな弱き者へと移ったのでしょう。

情報のスピードは、端末の普及と共に加速し、瞬く間にシェアされ広まって行く。
有り余る情報は垂れ流され、混ざり合い、媒体を介し希釈されて行く過程でその本質を見失う。


  ”ねぇ、見て!これ悲しいでしょう?”    ”いいね!”


頑是ない子供達を、良くも悪くも”情報の共有”の為といって見世物にしないで下さい。
彼らにとって、「耐え難い悲しみの記録がある」それだけで不本意ですから。

悲しみの共有など、出来ません。同情という偽善の共有は、引き換えに当事者を必ず傷つけます。

そんな情報も、安っぽい精神論や同情も、彼らには元々必要無いし、私達も興味本位にシェアしてはいけません。

数ある情報を精査し、当事者の立場になって考えましょう、本当に大変なのはこれからですから。




新年度、頑張ろう

2011-04-01 | 日記
震災の影響で、いよいよ現場が止まってしまいました。

資材が滞り、どうにもなりません。元々暇になる時期なので完全にストップ、まさにです。

とりあえず、天気がいいのでバイクを磨いてみました、そろそろシーズンインかな

Vmax1200北米 NOSスネーキー付けました、シングルシート製作中・・・出来上がったら紹介します。


今年度は、本庄YEG交流委員長と七軒町21支会長と本厄の年で大不況の年。

いつも笑顔で、楽しく頑張ります  YEGメンバーの皆様、ご近所の皆様、一年間よろしくお願いします。




京都 ~広隆寺など~

2011-03-31 | 旅行
国宝、宝冠弥勒(弥勒菩薩半跏思惟像)のある広隆寺にお参りしてきました。

娘の名前の由来でもあるこの像は、作り手の情熱か、長い間の信仰心という念のせいか、圧倒的な存在感で鎮座していました。

像の前で売っているお守りを買って、一日でも早く日本が復興出来るようお願いしてきました。


苔むしたお庭がとてもきれいでした。

他にも色々お参りしてきました。


平安神宮 構造物が巨大でした、竜宮城みたいですね。


金閣寺 昔修学旅行で見たときより金ぴか?な気がしました、これを作った昔の人の発想がすごい。


世界遺産の二条城 徳川慶喜が大政奉還を決めた場所。
木が乾いててよく燃えそうでした、世界の宝ですから、くれぐれも火事にお気を付け下さい。


将軍ってかっこいいな~、私は、まだ鍋奉行レベルです・・・・


 



原発事故に思うこと

2011-03-30 | 日記
人が作った物だから自然には敵いません。
私達には祈る事しか出来ませんので、製造者に対処して貰うしかありません。
元々危険極まりない物なので、命がけで大変ですがよろしくお願いします。

私は、以前からの政治不信により、政府の発表は信じられません。
また、過去の事例により原子力諸院、委員、東電の発表も信じられません。

震災の翌週に「チェルノブイリの様になる」という疑念が拭い去ることが出来ず、出張に合わせ家族で関西へ行ってきました。
車に給油無しで帰れる距離で、原発から半径600km以上離れた京都に宿を取りました。
そうです、チェルノブイリでは半径600kmの範囲が汚染されました、放射能を避けるにはより遠くに離れるしかないのです。
最初、京都の街の様子に変化は無く、テレビで大騒ぎしているだけでしたが、停電の噂の影響なのか解りませんが
一気に電池が売り切れ、そのうち水も品薄になっていました。(買い占めたのか、被災地へ送ったのかは不明)
揺れもせず、停電にもならないのに・・・・。

幸いにも大爆発も無く、民族大移動も、パニックも起きなかったので、
近所にあるお寺に復興祈願して、翌週は会議もあるので帰ることにしました。

結果的に普通の出張旅行でしたが、最悪の場合、会社の機能を関西に移設し、社員と家族全員が移住できるよう、
先鋒としての役割を担う旅でした。個人的には「何があっても子供を全力で守る」という夫婦の誓いを即行動に移せた、
という実績を、評価したいと思います。

最悪のシナリオで冷静に対応する。楽観することは、諦めと同じ。

”私は「決断」出来ます”


「神の見えざる手による 予定調和に達するという考え方に対して、複雑系の未来は発散する解を持つ。」