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本と音楽とねこと

日本社会のしくみ──雇用・教育・福祉の歴史社会学

小熊英二,2019,日本社会のしくみ──雇用・教育・福祉の歴史社会学,講談社.(8.3.24)

 いま、日本社会は停滞の渦中にある。その原因のひとつが「労働環境の硬直化・悪化」だ。長時間労働のわりに生産性が低く、人材の流動性も低く、正社員と非正規労働者のあいだの賃金格差は拡大している。
 こうした背景を受け「働き方改革」が唱えられ始めるも、日本社会が歴史的に作り上げてきた「慣習(しくみ)」が私たちを呪縛する。
 新卒一括採用、定期人事異動、定年制などの特徴を持つ「社会のしくみ」=「日本型雇用」は、なぜ誕生し、いかなる経緯で他の先進国とは異なる独自のシステムとして社会に根付いたのか?
 本書では、日本の雇用、教育、社会保障、政治、アイデンティティ、ライフスタイルまで規定している「社会のしくみ」を、データと歴史を駆使して解明する。

 総601ページの力作。
 小熊さんの、粘り強い筆力には、毎度、感嘆させられる。

 膨大な資料、データを駆使した分析は、非常に手堅い。

 小熊さんは、戦後日本の歴史を以下のように概括する。

(1)敗戦から一九五〇年代前半までは、地方に人口が滞留し、農林自営業が増加するという歴史の逆行がおきていた。これは戦争によって都市部の産業が壊滅し、地方に移動せざるを得なくなったためである。
(2)一九五〇年代後半からは、高度成長にともなって、都市部への大規模な移動がおきた。就業者が減少したのは、おもに地方の農林自営業である。「団塊世代」の就職がこれに重なり、労働力の供給が経済成長を押しあげた。高校・大学の進学率の急上昇がおきたのも、この時期である。
(3)一九七三年の石油ショックの時期に、高度成長は終わった。公共事業の配分が行なわれたためもあって、都市部への人口移動は止まり、大学進学率も政策的に抑制された。大企業は雇用を増やさず、むしろ人員整理を行なったが、中小企業と非農林自営業が過剰な労働力を吸収した。
(4)しかし一九八〇年代から、非農林自営業が減少しはじめた。その前後から、家族労働者の女性や高齢者など、縁辺労働力の非正規雇用が増大した。この時期以降、正社員の数は、バブル期の一時的増加をのぞけばほぼ一定である。
(5)バブル崩壊を経た一九九〇年代には、高卒労働市場が急激に縮小し、大学進学率が上昇した。しかし新卒採用の増加がなかったため、人数の多い「団塊ジュニア世代には、非正規労働に就く者も多かったと考えられる。
(6)二〇〇〇年前後からは、景気の変動にかかわりなく、都市部への人口移動が常態化した。自営業および小企業の就業者減少が顕著となり、非正規雇用が増大した。とはいえ、日本型雇用慣行は、コア部分では大きく変化していない。非正規労働者の比率が高いのは、女性・高齢者・若者などの縁辺労働力である。
(pp.79-80)

 なぜ、日本では、「ジョブ型雇用」ではなく、「メンバーシップ型雇用」なのか、そして、「ジョブ型雇用」への転換が進まないのか、本書はこういった疑問に答えてくれる。

 第2章で述べたように、労働研究者の濱口桂一郎は、日本の雇用形態を「メンバーシップ型」、欧米その他を「ジョブ型」と名づけた。しかし西欧やアメリカの歴史を知ると、「メンバーシップ型」と「ジョブ型」よりは、「企業のメンバーシップ」と「職種のメンパーシップ」と形容したほうがよい側面があるように思う。日本のあり方だけが、「メンバーシップ」の唯一のかたちではないのだ。
 近年では、グローバル化で日本企業の慣行が揺らいでいるように、欧米などの「職種のメンバーシップ」も揺らいでいる。職種別や産業別の労働組合の組織率は落ち、協約賃金などが適用されない不安定雇用が増えてきた。とはいえ、同じくグローバル化のなかで学位や資格証明、職務記述書などの標準化が進み、差別の撤廃も進んできたのである。
 このように考えると、日本と他国の最大の相違は、企業を超えた基準やルールの有無にあるといえる。企業を超えた職務の市場価値、企業を超えて通用する資格や学位、企業を超えた職業組織や産業別組合といったものがない。企業を超えた基準がないから、企業を超えた流動性が生まれず、横断的な労働市場もできない。労働市場があるのは、新卒時と非正規雇用が中心だ。これが、いわゆる「日本型雇用」の特徴だといえるだろう。
(pp.200-201)

 神島二郎の言う「第二のムラ」としての企業は、年功序列、終身雇用、企業別労働組合、企業福利等でもって男性社員を全面的に包摂した。(女性は、男性社員と結婚し退職することが期待され、「企業ムラ」から排除されていた。)
 しかし、社員の経験は、企業を超えて通用する実務能力の向上につながることはなく、また、企業横断的に編成された産業別労働組合が、同一労働同一賃金の実現も含めて労使交渉に臨む機運も醸成されなかった。

 そうしたなか、1960年代に、政府の経済審議会が、職務給や同一労働同一賃金の実現も射程に置いた、企業横断的労働市場の実現と社会保障拡充を提案していたことは驚くべきことだ。

 一九六〇年の『国民所得倍増計画』では、企業の労務管理は「雇用の企業別封鎖性をこえて、同一労働同一賃金原則の浸透、労働移動の円滑化をもたらし、労働組合の組織も産業別あるいは地域別のものとなる」ようにすべきだと主張された。また「年功序列型賃金制度の是正」を行なうとともに、公的年金制度をもっと体系的に整備し、「すべての世帯に一律に児童手当を支給する制度」を導入することが掲げられた。さらに「労働時間短縮」、「職業訓練制度の確立」、生活保護基準の引き上げ、「医療扶助、住宅扶助、教育扶助」の改定、公的賃貸住宅の建設などが唱えられていたのである。
 一九六三年の『経済発展における人的能力開発の課題と対策』は、この路線をさらに充実させた提言だった。この時期の経済審議会には、有沢広巳・東畑精一・氏原正治郎など、二重構造の解消を唱えていた経済学者が参加していた。また女性管理職の先駆者として知られ、コーネル大学で労使関係論を学んだ当時三一歳の影山裕子も、委員の一人だった。
 この答申も、横断的労働市場の形成、職業教育と技能資格制度の充実、厚生年金と国民年金の通算、公営住宅の整備、生活保護基準の引き上げなどを唱えていた。とくに「児童手当制度は賃金を職務給の形にし、家族(児童)の所要経費を賃金とは別の体系でカバーしようとする制度」であり、「中高年令層の移動促進に資する」ものだと明確に位置づけられていた。また「婦人労働力の活用」に一節を設け、「男女の性別にかかわりなく個人の能力と適性に応じて採用し、配置し、訓練し、昇進させるという人事方針」をも主張していた。
 さらにこの答申では、各企業がばらばらに職務給を導入するのではなく、「国など企業をこえた第三者機関」が職務分析を標準化することを提唱した。職務の評価基準が企業を超えて統一されていなければ、企業をこえた労働移動がおきないからである。この答申は、こう述べていた。

  従来労働力の移動を阻害し、また企業内における人的能力の活用面からも問題を生じつつある年功賃金制度に代って、将来は職務給制度の導入が予想され、すでに一部には部分的実施をみているが、そのためには職種、技能の標準化、客観化が必要である。職種、技能の標準化、客観化のためには、職務分析が有効であるが、このためには基幹的職務の職務分析を、国などの企業をこえた第三者的機関によつて行なうことが必要である。

 前述したように、大企業に年功制があるのは、技能が企業をこえて標準化していないからだというのが、氏原正治郎の見解だった。経済審議会の答申は、こうした経済学者たちの意見を集約したものだったといえる。
 この答申はまた、アメリカの労働運動を高く評価していた。その理由は、「組合が雇入、解雇において情実、縁故の要素を排除し・・・・・・すべての人事が職務要件のみによって客観的に決定されるような素地を作り上げてきたこと、同一労働同一賃金の原則を多年にわたる苦闘を通して確立せしめたこと」など、「米国において職務評価が育成されえたのは強力な労働組合による団体交渉制度の発展が背景」だったからである。
しかし答申の執筆者たちは、日本の労働運動は企業別組合で、アメリカの労働運動のような方向をとっていないことを理解していた。となれば、「個別企業の立場を離れてこのような統一的な職務要件を形成しうる最もよい立場にあるのは政府であって、場合によっては統一的な基準についての見解を示すことも必要であろう」。そして将来的には、職務給と「同一労働同一賃金の原則」のもとに「賃金の産業別標準化」をめざし、「産業別交渉の労使慣行を形成してゆくことが要請される」というのだった。
 こうした政府の動きと並行して、日経連は一九六四年に職務分析センターを事務局内に設立し、研究チームをアメリカに派遣した。一九六二年の日経連の報告書では、まず大企業から職務給を導入し、ついで「企業間で共通の標準的職務」の「賃率を横に揃える努力」を進め、最終的には「全国的な標準化」をめざすべきだと唱えられた。
 このように、当時の日本政府と日経連は、横断的労働市場と社会保障拡充の政策パッケージを提唱していた。こうした一連の政策が実現していたならば、日本社会のあり方は、第2章で述べた西欧に近い形となっていたかもしれない。そうなれば、雇用や社会保障や教育のあり方も変わり、産業別組合を基盤とした社会民主主義政党が生まれ、政治の形も変わっていたかもしれない。
(pp.411-414)

 しかし、この提案に、官僚や企業経営者、労働組合、教職員組合等は猛反発し、改革の機運は失われた。
 それぞれが、既得権益を失うことを怖れたからである。

 1960年代の学生運動は、高等教育大衆化、とくに大学進学者の増加に伴う学歴インフレに起因していた。

 このことは、大学生たちのメンタリティにさまざまな影響を与えた。その反応の一つは、一九六八年におきた学生叛乱だった。
 当時最大の学生叛乱がおきた大学の一つは、日本大学だった。この大学は高度成長期に入学定員を急増させた私立大学であり、一九五五年に約三万だった学生が、六八年には約八万五〇〇〇に増えていた。六八年八月に、当時の日大教授の一人はこう述べている。

  ・・・・・・一流である企業、国家公務員になった者、その他を加えても、自慢できる就職口を持つ大学卒業生は二万名くらいであろう。しかもその半数以上は五、六校の一流大学出がとってしまうのである。・・・・・・
  ・・・・・・私が教室で会った学生の中にも、大企業の宣伝部などへ行ったら、きっと腕をふるったにちがいない青年が、ダンプカーの砂利取り現場である河原の事務所長になったり、既製服のセールスマンになって、小売店を歩きまわっている。そんな仕事をするのなら、大学へ行かなくてもよかったのだ。高校で充分。・・・・・・
  しかも彼らの父兄は〔旧来の〕大学出にふさわしい地位──高級公務員、一流企業の社員を自分たちの息子に望む。父兄の期待と、灰色の将来に板ばさみになった学生たちは、自分たちを、コンベヤベルトに乗せられた石ころだと思う。彼らはヒステリックに叫ぶ。
  「もうけ主義の大学が、こんなに学生をとりやがるからだ。教師だって、おれを石ころみたいに黙殺する。こんな大学、ぶちこわしちゃえ。・・・・・・」

 この文章は、いささか学生心理への推測が多すぎるかもしれない。だが当時、類似の観測は多かった。
 たとえば、当時のベトナム反戦運動に参加し、学生とも交流が多かった政治学者の高畠通敏は、一九六九年一月にこう記している。「今日の学生運動が、『資本制社会』と同時に、あるいはより多く、『管理社会』に敵意を燃やすのは······身分的出世の道を閉ざされた階層的怨恨によるのかも知れない」。「それは、学生諸君のビラや演説のなかに『もはやわれわれは一生平サラリーマン・下士官クラスにしかなれない』ということばでしょっちゅうあらわれてくる」。
 一九六八年に、当時の中核派全学連の委員長は、『全学連は何を考えるか』という著作でこう述べている。「われわれのすべては、大きな希望をもって大学に入った」。「だが、新しい希望にもえ、現代世界に目を開いた学生に、大学が与えるものはあまりにもおそまつである」。「学生数の圧倒的増大は、学生の社会的地位をも著しく変化せしめ、大学を卒業したからといって大企業に就職するとは決していえない」。「今日の学生運動は、すでにのべたような社会的地位の変化、エリート的意識と存在の決定的欠落、そしてマスプロ化していく学園のなかにあって、たえず人間としての真実をとりかえしたいという欲求が大衆的にひろがっていくことを基礎において成り立っているのである」。「このような背景のもとでの学生の不満と不安のうっ積は、どのような契機から学園闘争が爆発しても、同じような全学的闘争にと発展してしまうのである」。
(pp.453-455)

 日本社会では、「職務の平等」ではなく「社員の平等」が重視され、その結果、(不平等であることが許される正社員外の)非正規労働者が増やされていくことになる。
 それを支持したのは、社員の既得権益を守ることを最優先した、当の労働組合であった。

 運動は制度を作る。だが、他の諸勢力との妥協や交渉を経てどんな制度ができるか、その制度がどんな効果を生むかまでは、必ずしも当事者たちは予測できない。「職務の平等」を志向したアメリカの労働運動は、意図せざる結果として横断的労働市場を作り出したが、同時に細分化された単調な職務による疎外感を生み、学位による競争や格差をもひきおこした。「社員の平等」を志向した日本の労働運動は、意図せざる結果として勤労意欲と技能蓄積の高い企業を作り出したが、同時に従業員どうしの過当競争を生み、「正規」と「非正規」の二重構造をもひきおこしたのである。
 それでもこの「しくみ」が機能したのは、いったん同じ会社の正社員になってしまえば、「社内のがんばり」と勤続年数が重視されていたからである。また、そうした領域に入るための競争が、受験や就職活動という形で、形式的には万人に開かれていたからである。そして、その領域の残余におかれた人々も、地域の人間関係と政治的配慮にカバーされた「地元型」として、それなりに安定していると考えられていたからである。
(pp.566-567)

 小熊さんは、企業の採用、昇進等において、透明性と公開性を確保することを提案する。

 もっとも重要なことは、透明性の向上である。この点は、日本の労働者にとって不満の種であると同時に、日本企業が他国の人材を活用していくうえでも改善が欠かせない。
 具体的には、採用や昇進、人事異動や査定などは、結果だけでなく、基準や過程を明確に公表し、選考過程を少なくとも当人には通知することだ。これを社内/社外の公募制とくみあわせればより効果的だろう。まず官庁から職務の公募制を実施するのも一案だ。
 こうした透明性や公開性が確保されれば、横断的な労働市場、男女の平等、大学院進学率の向上などは、おのずと改善されやすくなると考える。それはなぜか。
 これまでこうした諸点が改善されにくかったのは、勤続年数や「努力」を評価対象とする賃金体系と相性が悪かったためだ。近年では勤続年数重視の傾向が低下しているが、それでも上記の諸点が改善されないのは、採用や査定などに、いまだ不透明な基準が多いことが一因である。それを考えるなら、透明性と公開性を向上させれば、男女平等や横断的労働市場を阻害していた要因は、除去されやすくなるだろう。
 過去の改革が失敗したのは、透明性や公開性を向上させないまま、職務給や「成果主義」を導入しようとしたからである。しかもその動機の多くは、年功賃金や長期雇用のコストを減らすという、経営側の短期的視点であった。そうした改革は、労働者の合意を得られず、士気低下などを招いて挫折することが多かった。
(pp.572-573)

 人事の不透明性は、長期雇用、年功序列賃金とのバーターとして社員に容認されてきた。
 人事の透明性を高めることは、企業横断的に通用する「職務能力」を評価する第一歩となるものであろう。

 小熊さんが最後に提示する練習問題も興味深い。

 スーパーマーケットで働くシングルマザーの時給が、アルバイトをはじめたばかりの女子高校生の時給と同額であるのは是か非か、という問いだ。

  回答①
  賃金は労働者の生活を支えるものである以上、年齢や家庭背景を考慮するべきだ。だから、女子高生と同じ賃金なのはおかしい。このシングルマザーのような人すべてが正社員になれる社会、年齢と家族数にみあった賃金を得られる社会にしていくべきだ。
  回答②
  年齢や性別、人種や国籍で差別せず、同一労働同一賃金なのが原則だ。だから、このシングルマザーは女子高生と同じ賃金なのが正しい。むしろ、彼女が資格や学位をとって、より高賃金の職務にキャリアアップできる社会にしていくことを考えるべきだ。
  回答③
  この問題は労使関係ではなく、児童手当など社会保障政策で解決するべきだ。賃金については、同じ仕事なら女子高生とほぼ同じなのはやむを得ない。だが最低賃金の切り上げや、学位・資格・職業訓練などの取得機会は公的に保障される社会になるべきだ。
(pp577-578)

 労働者はモノではない。
 というより、モノのように扱ってはならない。

 近代社会が、自然(土地)、貨幣、人間(労働力)を商品化、モノ化することで成立していったことを喝破したのは、経済人類学者のカール・ポランニーであった。

 賃金は、モノではない、生身の人間の労働への対価である以上、人間の健康の維持、もしくは病気やケガの治療や、疲労の回復、生活の維持に必要なコストを、雇用者側(企業)が支払うのは当然だ。
 その点、現行の法定最低賃金はあまりに低すぎる。

 シンママと女子高生の賃金は、職務内容が、経験、熟練による向上が見込まれるものでない限り、同一労働同一賃金の原則からして同額であってもおかしくはないが、働く者の属性にかかわらず、少なくとも法定労働時間分就労すればじゅうぶんに生活が成り立つ水準の賃金は保障すべきだろう。

 職業キャリアをトラックしていくための学習、訓練の機会は、国が全面的に保障すべきだ。
 人にはスーパーのレジ係として働く自由があるが、それ以外の、熟練を要したり専門的知識・技能が必要な職業に就く権利も保障されなければいけない。

 子どもが育つコストについては、子どもは、将来、労働者、消費者、納税者としての役割期待をもつ存在なのであるから、企業、国、自治体が、保育、教育費、医療費、食費等を全面的に負担すべきだ。
 現行の児童手当も含めて、あまりに子育ちコストの自己負担が重すぎる(公費負担が軽すぎる)。
 財源は、累進所得税率、法人税を、1990年水準にまで引き上げれば、じゅうぶん調達できる。

 「ジョブ型雇用」、同一労働同一賃金の実現が、人間の学習、経験の意欲を高め、就業先を選択する(選択し直す)機会を保障し、ジェンダー間の賃金格差を是正するためにも必要だ。

 もし、日本でも「ジョブ型雇用」が実現すれば、大学生は、事業所が要求する「職務記述書」の要件を充たすべく、学習や経験を積み重ねていくことができるだろう。

 もちろん、大学のカリキュラムが、事業所が要求する実務能力を伸ばす目的を充足しなければいけないということではない。

 しかし、自らの素養、専門性、経験とは関係なく、「就社」し、営業、販売、経理、総務、人事等、どの職種、部署で仕事をしなければいけないかわからないことが、どれだけ大学でのプラスアルファの学習、経験への意欲を削ぎ、また就労意欲を失わせてきただろう。

 人生のどの段階においても、職業キャリアで証明される職務能力により、自由に就業先を異動できるのは、大きな自由の拡大につながる。

 ジェンダー間での賃金不平等については、非正規労働者も含めた職務給への転換によりある程度是正できるが、介護、看護、保育、相談援助等、女性が多数を占める職業について、「同一価値労働」という場合の、価値の算定について、人間の生命、生活、健康への貢献という評価軸からとらえ直していく必要もあろう。

目次
第1章 日本社会の「3つの生き方」
第2章 日本の働き方、世界の働き方
第3章 歴史のはたらき
第4章 「日本型雇用」の起源
第5章 慣行の形成
第6章 民主化と「社員の平等」
第7章 高度成長と「職能資格」
第8章 「一億総中流」から「新たな二重構造」へ
終章 「社会のしくみ」と「正義」のありか


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