ペギー・オドネル・ヘフィントン(鹿田昌美訳),2023,それでも母親になるべきですか,新潮社.(2.24.24)
これまで、子どものいない、そうだな、おおむね30代後半以降の女性たちは、「なぜ子どもを産まなかった」のか、と、しばしば、問われてきた、、、
のは、せいぜい昭和の時代までだよね、いまどきこんな無神経なことを尋ねる人はいない、、、と信じたい。
しかし、ヘフィントンは、逆に、子をもつ女性たちに、「なぜ子どもを産んだのか」、と問い直す。
いや、正確に言えば、ヘフィントンは、子どもを産まなかった理由と、子どもを産んだ理由を、対等に、公平に、扱う。
このバランス感覚が、とても良い。
各章のタイトルは、そのまま、米国の子を産まなかった女性たちの、産まなかった理由を示すものとなっている。
1)いつも選択してきたから(避妊と中絶)
2)助けてくれる人がいないから(コミュニティの希薄化)
3)すべてを手に入れるのは無理だから(キャリアとの両立の困難さ)
4)地球環境が心配だから(人口増加と地球温暖化)
5)物理的に無理だから(不妊治療)
6)子を持つ以外の人生を歩みたいから(チャイルドフリー)
(()内は訳者の鹿田昌美さんが付け加えたものである。pp.256-257.)
これらの理由に、経済的困難を加えれば、そのまま、日本で子を産まなかった女性、その産まなかった理由となるであろう。
これらのことが人口に膾炙し、子を産まなかった女性が、いちいち、産まなかった理由を「弁明」する、その鬱陶しさから解放されることを望む。
ヘフィントンの優れたバランス感覚は、子を産まなかった女性と、産んだ女性とが、反目、対立し合わないで、むしろ、連帯すること、そこに希望をつなぐところに行き着く。
子どもは社会の宝なのだから、子どもが育つ費用も、子どもをケアする労力も、みなで分かち合えば良い。
これほど、シンプルで、わかりやすく、力強いメッセージが、ほかにあるだろうか。
もう、そろそろ、社会全体で、子どもをネグレクトするような悪習は、やめようよ。
筆致が堅いせいか、かならずしも、読みやすいとは言えないが、子の産育と女性の生きづらさの根源にあるものについて考えてみるうえで、良質のテキストであるように思う。
それと、謝辞が、とてもこころが入ってて、ほんわか暖かくって、こっちまで、なんだか、うるっとして、優しい気持ちになれた。
ヘフィントンさんにも子どもがいないけど、夫の人のボブさん、それと、パグ(犬)のエリーとジェイクとで、幸せに暮らされているのだろうな。
産んでよかった。産まなくてよかった。私たちの感情は狭間で揺れ動く。かつて当たり前の存在だった「子のない女性」は、いつから「解決すべき問題」になったのか。産業革命や戦争、不景気、宗教、環境問題、医療などが、いかに女性の人生を翻弄し、その選択を変化させてきたかを描き出す。社会が突き付ける選択の裏にある女性たちの語られざる思いに迫り、現代の常識から女性を解き放つ一冊。
目次
イントロダクション
私たちは子どもを産みません。なぜなら…
1章 いつも選択してきたから
2章 助けてくれる人がいないから
3章 すべてを手に入れるのは無理だから
4章 地球環境が心配だから
5章 物理的に無理だから
6章 子を持つ以外の人生を歩みたいから
結論:では…すみませんが、「産むべき理由」を教えてもらえますか?