ブレイディみかこ,2022,オンガクハ、セイジデアル──MUSIC IS POLITICS,筑摩書房.(6.11.24)
サッチャー政権以降、緊縮財政と市場原理主義により、労働者階級がアンダークラスへと転落していった英国。
保守党政権下、失業給付と生活保護の資格要件が厳格化され、賃労働を拒否して、自給農業やボランティア活動にいそしんできたアナキストたちも、就業を余儀なくされているという。
かつて、幾多のミュージシャンやサッカー選手が、労働者階級の家庭から生まれたが、近年は、ミドルクラス出自の者が多数を占めるようになったという。
ロックミュージックは、かつて、労働者階級の音楽であった。
セックス・ピストルズ、P.I.L.のジョン・ライドンやモリッシーは、没落する労働者階級だけでなく、アンダークラスの、とくにアナキストにも熱狂的に支持された。
しかし、いまや、アンダークラスの多数が、移民、もしくは若年シングルマザー、ドラッグ中毒の若者で占められるようになり、緊縮財政により筋金入りのアナキストは減り続け、レベリオンの旗印の下で政治とつながっていたロックミュージックは、ミドルクラスのBGMと化した。
本書は、英国の政情を、音楽というフィルターをとおしてレポートしたものである。
みかこさんは、エイミー・ワインハウスを、以下のように讃える。
Amy Winehouse-Love Is A Losing Game(Live)
エイミーは、フェミニストでもなく、娘でもなかった。
女だった。
男の精子を体内に受け入れて子を孕む性の人間が持つ業のようなものを、人一倍濃く持ち合わせたシンガーだった。傍から見ればくだらないとしか言いようのないヒモ男に惚れ、惚れ抜いて、自らの天才を無駄にしたこの女は、"Love Is A Losing Game”という名曲を残している。
愛は負ける。負けない愛など、愛ではないのだ。
が、勝つことや全てを手に入れることが女の強さだと見なされる時代に、泥酔でもしなければ、ラリらなければ、そんな歌は歌えなかったかもしれない。
愛すれば負けるのが本当だ。とエイミーは歌う。そして勝ちたい女たちは、タブロイドにばら撒かれたエイミーの写真を見て嘲笑し、敗者の醜さを嬉々として噂し合った。
(pp.114-115)
「元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によって輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である」
と、平塚らいてうは書いた。
たしかにブレイクと恋に落ちてからのエイミーは、いつも病人のような青白い顔をしていた。
けれど、男に負ける全ての女が月になるわけではないだろう。男に負けて、そのことを歌って、人のこころを熱く溶かす太陽になる女もいる。
エイミー・ワインハウスは、実に太陽であった。真正の歌手であった。
(pp.118-119)
米国や日本に先行して、ネオリベラリズムの草狩り場となった英国は、かつて、「ゆりかごから墓場まで」の社会保障とNHS(National Health Service)を生んだ福祉国家でもあり、そのスピリッツは、金持ちをいかがわしく、卑賤なる者として捉える価値観として生き続けている。
Obscenely Richという表現が英語にはある。
Obscenelyをマニュアルどおりに「不愉快なほど」と訳せばどうということはない表現だが、Obsceneは本来、「猥褻」を意味する。「淫らなほど金持ち」とは日本語では言わないので、何処から来た表現なんだろうと考えていた。
「ソーシャリズムの発端はキリスト教の誕生まで遡る」と言った学者の話は以前も書いたが、実際、新約聖書の時代と現代社会は似ている。貧困者や病人、障碍者が切り捨てられ、「神の怒りに触れた者たち」と見殺しにされた社会と、敗者が切り捨てられ、「自己責任」というキャピタリズム信仰のもとに見殺しにされている現代。世の中は、二千年の時を隔ても相変わらず野蛮だ。
「それじゃいかん」と反旗を翻したダイハードなソーシャリストがキリスト(実際、聖書を読むと彼はしょっちゅうキレている)であり、彼の種々の言葉が西洋思想のベースにあるとすれば、「淫らなほど金持ち」という表現の出所はそこら辺なのかとも思う。
英国では、社会がキャピタリズムに傾き過ぎると、必ず反対側に戻そうとする動きが出て来るそうだが、それも「Obscenely Rich」という表現を現代まで絶やすことなく使い続けてきた文化を持つ国だからなのかもしれない。
(p.226)
ネオリベは人間の精神を劣化させる。
日本社会に蔓延するシニシズムは、英国のそれと同根、同質のものだ。
『ガーディアン』紙は、新自由主義が人間の心理にもたらす影響も分析している。九時から五時まで働いていた時代には退屈していた人間も、個人主義の時代には常に不安を抱えるようになった。新自由主義が作り出した不安と恐れのカルチャーは社会全体をシニカルにしてしまったという。シニシズムとは、不安を覆い隠すためのディフェンスのメカニズムだ。何かを真剣に主張して、恥をかいたり、負けるのが怖いから、人は斜に構える。そうしたシニシズムがデフォルト(標準仕様)になっている社会では、ミュージシャンよりコメディアンが有利だ。「たぶんジョークなのだろう」と思えるポリティカル・メッセージなら、人びとは安心して受け入れられるのだという(音楽界でも四十年近く前には、セックス・ピストルズというバンドがそこら辺はうまくやっていたが)。
(pp.259-260)
とても切れ味の良い、英国政治と音楽の時局集だ。
イギリスの出来事が、その先の未来と、今の壊れた日本を予見する。ロックと英国の社会・政治を斬りまくる初期エッセイ。『アナキズム・イン・ザ・UK』の前半部に大幅増補。著者自身が体験してきた移民差別と反ヘイト。拡大するアンダークラス。イギリスの音楽から労働者階級のプライドを自覚した著者にとっても、音楽と政治は切り離せない。
目次
第1章 アナキズム・イン・ザ・UK
出戻り女房とクール・ブリタニア
フディーズ&ピストルズ随想
勤労しない理由―オールドパンクとニューパンク
HAPPY?―パンクの老い先
フェミニズムの勝利?ふん。ヒラリーは究極のWAGだ ほか
第2章 音楽とポリティクス
インディオのグァテマラ
キャピタリズムと鐘の音
淫らなほどキャピタリスト。の時代
移民ポルノ
ウヨクとモリッシーとサヨク ほか