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地震と虐殺──1923-2024

安田浩一,2024,地震と虐殺──1923-2024,中央公論新社.(9.25.24)

「朝鮮人が暴動を起こした、井戸に毒を投げ込んだ……」。関東大震災の発生直後、各地で飛び交ったデマによって多くの朝鮮人が命を奪われた。非常時に一気に噴き上がる差別と偏見。東京で、神奈川で、千葉で、埼玉で、悲惨な事件はいかなるメカニズムで起きたか。虐殺の「埋もれた歴史」は誰によってどのように掘り起こされてきたか。100年余りが経過した現在、何が変わり、何が変わらないのか。歴史的事実を葬ろうとする者たち、人災を天災の中に閉じ込めようとする政治家、差別行為にお墨付きを与える行政……。差別やヘイトクライムの問題を長年追ってきたジャーナリストが100年余り前と現在を往還し、虐殺事件が及ぼし続ける様々な風景を描く。

民衆を暴走に駆り立てた真犯人とは誰だったか。関東大震災発生直後に起きた悲劇。東京、神奈川、千葉、埼玉、群馬、福島、新潟、香川、大阪、韓国―。徹底した現地取材を敢行。この国では当時からなにが変わり、なにが変わらないのか。今なお事件が及ぼしつづける多様な風景を炙り出す渾身のルポ。

 関東大震災後に、「朝鮮人」が「井戸に毒を入れている」、「放火している」等の流言蜚語が拡散し、自警団、軍隊、警察官により、おびただしい数の人々が虐殺された。

 虐殺されたのは、「朝鮮人」だけではない。中国人、香川県から行商に訪れていた被差別部落の人びと(「野田村事件」)、障がい者等も犠牲になった。

 虐殺の原因となった流言蜚語は、政府、県、新聞、警察等が拡散したものであった。

 安田さんは、残されている資料を収集し、虐殺の地に足をはこんで新たな言質を取って、この総598ページにおよぶ力作をものにした。

 あらためて、アイヒマンの所業をハンナ・アーレントは「凡庸な悪」と呼んだけれども、「普通の人びと」の救いようのない残忍さ、冷酷さ、凶悪さと、殺される側の命の軽さに震撼した。

 「本庄事件」では9月22日になってようやく33名が検挙された。当時の資料によると、逮捕された者たちの職業は「露天商、鳶職、妓夫、建具職、ペンキ職、左官職、古物商、農業、料理店、車夫、煎餅屋、運送挽」などで、平均年齢は33歳だった。今でいうところのホワイトカラーがほとんどいなかった地方都市の環境を考えれば、要するに「市井の人々」が虐殺に参加したということになる。
 残虐極まりない、まさに狂気の沙汰ともいうべき事件であるのに、裁判において被告らが発した言葉から罪の意識を感じ取ることはできない。
 「他人の喧嘩を見てもつい手を出したくなりますので」(23歳)
 「所在不明の妹のことを思い出し、かたきを討つような心持で四、五人やっちまいました」(33歳)
 「フティ野郎だから一つ二つウンとなぐりつけてやろうと思いました」(36歳)
 「三台の自動車からころがり落ちた三人の胸を刺しました。一杯気分でしたからついへへへ」(47歳)
 「つい四合徳利四本を傾け······酒さえ飲まなければあんな事しなかったものを」(46歳)
 「当時そのようなことをするのを名誉と思っておりました」(22歳)
 「一杯ひっかけた勢いで一人を棍棒で殴った」(24歳)
 これらはいずれも『かくされていた歴史』『本庄市史』に記載されたものだが、言葉の軽さにただただ愕然とするしかない。酒をひっかけたら殺したくなるのか、この人たちは。
 おそらく、家でも近所でも、いい父親であり、頼りになるおじさんなのだろう。私はこれまで「朝鮮人を殺せ」と叫ぶレイシストをいやというほど取材してきたが、見た目からしても、会話を交わしても、殺人マシンのような人物はほとんどいなかった。
 みんな「いい人」なのである。だからこそ、私はどんなときでも力説している。「いい人」かどうかなど、関係ないのだと。そう、どうでもいいことなのだ。
 大事なのは「いい人」でも、平気で人を殺すということだ。「いい人」でも、他人の首をはねる。「いい人」でも、生きた人間の腕をのこぎりで切断する。
 「いい人」が人と社会を壊していく。
(pp.337-338)

 それにしても腹が立つのは、いまだにこの大量虐殺の事実を認めていない政府──本書に詳説されているとおり政府の公式文書で認めたことはあるのだが現自公政権は国会答弁で実質否認している──や現東京都知事の姿勢である。

 自国にとって都合の悪い史実は否定、忘却する。
 歴史に目を閉ざす者は未来の可能性を自ら否定する者だ。
 そのような者、国家が、国際社会で尊敬されるわけがなかろう。
 もちろん、いまもなお「不逞鮮人」を叫ぶ連中も同様だ。

 現在も、災害が起きるたびに、特定のエスニシティをもつ人びとを名指しする流言蜚語が飛び交う。

 101年前、1923年に起こったこの虐殺は、けっして歴史上特異な事件として風化させて良いものではない。

目次
第1章 「埋もれた歴史」を掘り起こす―東京・八広
第2章 虐殺を葬ろうとする人たち―東京・横網町公園、新宿
第3章 知られざる「軍民共同」の虐殺―千葉・船橋、習志野、八千代
第4章 “複合差別”が招いた「福田村事件」の悲劇―千葉・野田
第5章 暴走する集団心理―埼玉・寄居、大宮、神保原、本庄、群馬・藤岡
第6章 港町に隠された虐殺の記憶―神奈川・横浜
第7章 虐殺をめぐる様々な風景―新潟・津南町、大阪・枚方、韓国、東京・亀戸、福島・西郷村


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