大治朋子,2023,人を動かすナラティブ──なぜ、あの「語り」に惑わされるのか,毎日新聞出版.(5.12.24)
20年ほど前、ナラティブアプローチによる臨床社会学の試みが注目された時期があって、わたしも、某学会でシンポジウムを主宰したことがある。
細々としてではあるが、社会学だけでなく、精神医学や看護学、社会福祉学の分野でも、ナラティブアプローチは現場で実践されており、トラウマケアや、精神障がい者の地域生活支援、高齢者の生活史の聴き取り、フィンランドではじまったオープンダイアローグ等、ナラティブアプローチによる実践は大きな効果をあげてきた。
ナラティブとは、「さまざまな経験や事象を過去や現在、未来といった時間軸で並べ、意味づけをしたり、他者との関わりの中で社会性を含んだりする表現」(p.19)のことである。
人は物語のなかでしか生きることはできない。
そして、その物語は、特定の政治勢力がコンピュータが生成するアルゴリズムを用いて書き換えることができる。
社会的不安の増大→向社会性が低く神経症的傾向がある+SNSをよく使う人が不安感情や、排他的な思考を強める→政治家や外国の勢力が自己の利益のために悪用→不安や排外主義をあおるナラティブを拡散→世論の対立、社会の分断の深化
(p.272)
カルト教団や宗教原理主義セクト、詐欺師が行う洗脳と同様のやり口である。
「ナラティブの書き換え」は、トラウマケアのように人を救うこともあれば、人をして外集団への憎悪、敵意をかき立て、社会の分断、紛争、戦争、テロやヘイトクライムにつながることもある。
ナラティブは、他者とのつながりのなかで紡がれるものであるが、孤立・孤独により、人はナラティブから疎外され、意味のある物語を生きることができなくなり、外集団に属す人々を敵として非人間化するリスクが高まっていく。
他者との関係性が減って孤立・孤独な状態になると、他者を人間と見なさなくなるだけでなく、人間への感受性そのものを下げてしまう傾向が強まるというのだ。人間は脳内報酬がないと生きられないから、それを人間関係から得られなくなれば、モノから得るしかない。だからモノへの感受性を強めていくという。脳のバランス機能の優秀さを物語る話だが、同時にそれがもたらす恐るべき結果でもある。
(pp.274-275)
問題は、「広場(アゴラ)」の縮小に伴い孤立・孤独が深化する現代社会で、心の脆弱性を抱える人々を「足場」に計画的かつ大規模に感情感染、行動感染を引き起こして自己の利益につなげようとする指導者や政治勢力、企業が急増している状況だ(第4章P206)。アルゴリズムを使って人間の脆弱性を自動検索し、ローハンギングフルーツをあぶり出し、彼らを「感染源」にクラスター感染を起こして大衆心理を操作しようとたくらむ。
孤立・孤独な人ほどその心は空虚で、その空洞を埋めるためにより「大きな物語」を求めやすい(本章P368)。自分や他者の「小さな物語」を顧みず、空洞な心のまま「大きな物語」に支配され「自動人形化」した人間は、全体主義や排外主義といったナラティブに魅せられ、そうした群れが社会のドミナントなナラティブを形成していく。
だが、個人やコミュニティに高い社会情動スキルがあれば、そんな激流に呑み込まれそうになっても「何かがおかしい」「これは間違っている」という「気づき」を持つことにつながる(第5章P282)。少数派やその視点に思いをはせて、オルタナティブ・ナラティブという疑問の矢を放つことができれば、社会の多様性も保たれる。
(p.374)
前著、大治朋子,2020,歪んだ正義──「普通の人」がなぜ過激化するのか,毎日新聞出版.ともども、お薦めできる作品だ。
あなたの「物語」が狙われている。不安や怒りを煽り、社会を分断する「情報兵器」のメカニズム。
目次
第1章 SNSで暴れるナラティブ
第2章 ナラティブが持つ無限の力
第3章 ナラティブ下克上時代
第4章 SNS+ナラティブ=世界最大規模の心理操作
第5章 脳神経科学から読み解くナラティブ
第6章 ナラティブをめぐる営み