荒川和久,2017,超ソロ社会──「独身大国・日本」の衝撃,PHP研究所.(6.8.24)
現時点での単独世帯の割合は約4割。
これからもこの割合は高まり続ける。
未婚化、非婚化、(夫に先立たれた)高齢独居者の増加、離婚の増加が、その要因だ。
「出生動向基本調査」のデータにもとづき、荒川さんは次のように指摘する。
女性が結婚しないのは、結婚をすると「不自由になり」「友人や家族や職場との関係がなくなる」という恐れがあるからだと解釈できる。その上、結婚に対しては「家族という新しい社会を手に入れることができ」「経済的余裕が生まれる」ことを期待している。
つまり、今までの社会的な関係性を放棄してもいいくらいの経済的余裕がなければ、女性はあえて結婚するメリットを感じないのだ。
身も蓋もない言い方をしてしまうと、そこには愛情なんてものはもはやあまり重要ではないということだ。婚活女性が相手の年収条件にこだわる理由はこういうところに潜在している。
逆に、男性が結婚しないのは、「自分のために金を使いたい」からだ。結婚に感じられるメリットは、もはやほとんどないといっても過言ではない。未婚のままでも、今や社会的信用を失うわけでもなく、結婚したからといって、専業主婦になってくれる時代でもないから、生活上の利便性も変わらない。
「自分のために金を使える自由」を捨ててまで、結婚をする必要を感じられないのがおわかりいただけると思う。
結婚に関して、女性は相手の年収や経済的安定は絶対に譲れないし、男もまた結婚による自分への経済的圧迫を極度に嫌う。とにかく、結婚に対する意識では、男も女も所詮「金」なのである。女が結婚したがるのも金ならば、男が結婚したがらないのも金。双方譲れないポイントがここでぶつかっているわけだから、非婚化が進むのは至極当然なのだろう。
(pp.49-51)
別に無理して結婚(法律婚)する必要などないとは思うが、イヤになったらいつでも解消できるという前提の、カジュアルなパートナーシップ(事実婚)があった方が、楽ちんに、寂しくなることなく生きていけると思うんだけどな。
しかし、なぜか、日本では事実婚がなかなか増えない。
元凶は戸籍制度にあると思う。
カネのために、男女ともに結婚を敬遠するというのは、笑えないミスマッチだ。
最低賃金を現行の2倍近くまで引き上げ、労働時間(残業)規制を厳格化し、性別を問わず、ワークライフバランスがとれるようになれば、女性が上昇婚を望む、男性が相手の女性の扶養負担を警戒する度合いも低くなると思うんだけど。
人とのつながりをつくることがソロで生きる力?矛盾していると思われるだろうか。精神分析医で小児科医のD・W・ウィニコット氏が提唱した「ひとりでいられる能力(capacity to be alone)」というものがある。
精神分析では、今でもひとりでいることは「ひきこもり」や「自殺の前兆」としてとらえられ、否定的な面から語られることが多いが、ウィニコットは1958年の段階で「ひとりでいられること」の肯定的な面に注目した最初の精神分析医である。
彼は、「ひとりでいられる能力」獲得には、幼児期に母親と一緒にいてひとりであったという体験が必要であると唱えている。「一緒にいてひとり」というのはわかりにくいかもしれないが、要するに、「母親がすぐ近くにいて、いざとなれば助けてくれると確信しているからこそ、幼児は安心してひとりで遊ぶことができる」という状態のことだ。もちろん、生まれたばかりの赤ん坊は、そんなことは感じない。泣けば、お乳をくれ、おしめを替えてくれる母親にすべて依存しきっているのだが、そうした経験のなかで両者の間に信頼関係が築かれると、目の前に母親がいなくても見捨てられてはいないという安心感で落ち着いていられるようになる。もう少し長じて、たとえ母親がその場に一緒にいない時間があったとしても、子どもは一人遊びをするようになり、それが子どもの心に小さな自立を生む。たとえ状態としてはひとりであったとしても、誰かと共有できる何かがあると感じれば、孤立感を覚えないということだ。
つまり、「ひとりでいられる」ということは「誰かがいる」ことを感じられるということである。若いカップルが同じ部屋に居ながら、2人で別々にスマホをいじっている場合があるが、それで互いに居心地がいいと感じるのもこれと同様だろう。この「誰か」とは現実にそこに存在しなければいけないものでもなく、心の中にいる大事な存在というイメージでもいいのだ。
この、ひとりでいても不安にならない状態が発展すると、物理的にひとりでいても、心理的に孤立を感じなくなる。すなわち「ソロで生きる力」へと発展する。逆説的になるが、「誰もいない」と感じられると人間は「ひとりではいられない」のだ。
繰り返すが、「ソロで生きる力」とは、ひとりでいる状態に耐えられる我慢能力ではない。ソロで生きる力のためには、誰かとのつながりが前提となる。片や、心の中で誰ともつながっていないという人間は、大人になっても赤ん坊と一緒なのだ。不安のために目の前のリアルな人やモノだけに依存してしまうということになり、現実にひとりにされると、世界から見捨てられたという絶望感を味わうようになる。
(pp.237-238)
ウィニコットときたか。
子ども期の「重要な他者」(多くは親、現時点では母親)との関係が安全基地となり、「ひとりでいられる能力」が得られる、それが一次的愛着資本であるとすれば、成人期以降の「重要な他者」との関係は二次的、あるいは生涯にわたる愛着資本を形成する。
それが結婚という制度に結びつく必要は必ずしもないわけで、多様な生活の場での、友人、知人、恋人とのネットワークが「ソロ」生活者としての個人の安全基地となれば、なんら問題はないように思う。
2035年、日本の人口の半分が独身になる!未婚化・非婚化に加え、離婚率の上昇や配偶者の死別による高齢単身者の増加など、確実に進行する日本のソロ社会化。高齢化や少子化ばかりが取り沙汰されているが、このソロ社会化こそ、日本が世界に先駆けて直面する課題だ。「個」の生活意識や消費意識、価値観はどのように変化していくのか―博報堂ソロ活動系男子研究プロジェクト・リーダーが問う日本の未来。
目次
第1章 増えるソロで生きる人たち
第2章 ソロで生きる人々を許さない社会
第3章 男たちは嫌婚になったのか
第4章 結婚してもソロに戻る人たち
第5章 ソロたちの消費
第6章 ソロ社会の未来