それはむかーし昔
父に勉強出来ないできない!お前はなんでできないんだ!と怒られ続けた小学校1年生。
教えてくれずただただ叱り続ける 教えてくれればいいのに ただただそれが終わることを耐え続けるしかできない
そこにから生まれた言葉
「私はできない」
そうしてそのビリーフを信じて半世紀生きた。
父はもう居ないのにまだって・・・先日笑ってしまったけど・・それでも
≪ゲーム≫
そんな嫌な関わりなはずだけど
父を独り占めにできたコミュニケーションだったのだ
・・・・・・・・・・・それから 負けず嫌いな自分にになり
一生懸命できるように頑張り、徐々にそして多くの事を
手に入れ結果を出している。
私を造ってきた内なる囁きの言葉・・私はできない・・はネガティブ方向からですが、大切なモチベーションUPに役だっていた。
与えられたものに対して結果を出すために、弱い怖がりで出来ない自分に鞭打ち頑張る自分.
結果が出る方へころびながら・・
↑ その結果に 『できる』 という周りの評価。
ようやく勝ち取った 『できる』 うれしいはずなのに・・
自動的(無意識)に とらうまが蘇がえっていたようだ
ひとりぼっち自信がない いつも不安定
そこでの内なる言葉 ・・・「助けて~」
できるようになったら・・・その関わりが無くなってしまう。
だから できないよー!を言い続けて生きてきたのぉ!?
→そんなことないよ!と必ず周りの人が関わってくれる。
そんなこと自動的にやってたんだー
突然できなくなる・・そんなことがよくある 不安定。
なにもかも忘れてしまった事。 いつも「できる」 できてしまう と見てももらえない関わりもなくなる。
そんな大昔のことをひっぱり出してきて わざわざできない自分になる事にに意味ある?
そうしてたい?
できないをわざと無意識で創り出してそしてそれに自分自身が悩み苦しみ悩んできた。
すべて自分が創り出してきたこと
ならば自分が楽な無意識の行動を引き出した方がいいよね。。。
百箇日が終わった今日
父がもう楽になっていいよって教えてくれたのかもしれない。
そんなタイミング
ありがとう。
不安があってもいいんだ
どきどきしてもいいんだ
それとできないは別
それを打ち消す必要はないそのまま使って行こう!
不安が現れたらその先には『できる』の前触れ・・ただの途中経過
そしてどきどきは胸の高鳴り
スタート前のわくわくする高揚なんだ
そして『できる!』指をならして
堂々と自信gaある
『できる』私の舞台がはじまりました。