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Felice*mamma

✈︎ 梅雨真っ只中・国内マイルひとり旅 19世紀初頭の出島へGO〜!!




2024年 7月

国内マイルひとり旅
〜 長崎・五島 〜


羽田を飛び立った、マンマを乗せた飛行機✈️は
無事長崎空港へ着陸いたしました。

その後、五島列島の福江島へ

飛行機も出ていますが、
1泊目は
港のそばのホテルに泊まりたかったので
船🛳️ で島へ行きます。

ってその船も、ヤバかったのです。

というのは、飛行機は霧🌫️、
船(ジェットフォイル=高速船)は高波🌊が苦手。

飛行機は目的地長崎に着いて、
マンマは肩を撫で下ろしたのは束の間、
今度は船の心配をしなければなりませんでした。

その日はまだ雨は降っていませんでしたが、
風が強いのなんのって。

とりあえず、空港から長崎港まで
市内行きのバス🚌に乗りました。
 
事前にあまり調べなかったので、
インフォで聞いて、バスに乗りましたが、
なんと、一番最後の乗客。
ほぼ満席。

補助席に座りました。
 





このバスは市内まで行くので
便利でした。
長崎港は大波止というバス停が一番近いということです。



↓ このバスに乗ってきました。
これから、一番近い観光地に行きます。



大波止はチンチン電車の駅があり、
長崎の観光スポットを
回ることができます。

ここから近そうなところに
出島がありました。

さて、チンチン電車はどっち方向でしょうか。
チンチン電車の駅に出島って書いてありません。

前を歩いていたおじさんに聞いたら、
隣ですよ。すぐそこ。
歩いていけますよ!!

ひえ〜〜😳
見えてるではありませんか!?


と、
出島に来ちゃいました。

以前、ここ来たことがあったなあ。
船に乗るまでに2時間以上あったので
時間潰しの観光です。

そばに美術館やら、中華街なんかも
あるみたいでしたが、
あまりにも時間が中途半端すぎて、
出島がちょうどいい観光地でした。




国指定史跡
出島和蘭商館跡


鎖国時代に
長崎が西欧に開かれた唯一の窓口でした。

この扇型の小さい人工の島から、
西欧の知識と文化が日本中に広まって行きました。





マンマが中途半端な写真を撮ったために
わかりにくいですが、
元々の江戸時代にできた出島から、
明治の護岸工事の時に18-20m縮小されたということらしいです。
さらに、1904年に出島は町の中に埋没?
って、どういうことか。。。



江戸時代の出島は
18-20m大きかったということですが、
それにしても、コンパクトです。





江戸時代の出島の護岸




この図と後ろの建物をかぶるように
写真に撮ってみました。

右:2番蔵(輸入品の線量が保管されていた蔵)
左:3番蔵(砂糖など様々な輸入品が収められていた蔵)




↓  拝礼筆者蘭人部屋
帳簿など筆記を行うオランダ人の書記長が住んでいた建物。




荷揚げ場
後年に3回築足し(石垣)されたということで、
出島ができた当初はなかったそうです。



昔の石の様子が上から見られるようになっていますが、
暗くてよく見えません。

写真に撮りましたが、
難しいです。




出島 表門が見えてきました。





いよいよ出島表門橋を渡り、
出島を歩きますよ〜。



マンマは元家族と
以前も来たことがあったので
中に入るかどうしようか迷いましたが、
せっかく来たし、ね。

でもさ、ここって、ほとんど修復されていて
観光地化しちゃってるでしょ。

なんかね。




520円で安いし、少しでも保存に役に立てばいいかということで
入島!!


入って左の方は、明治時代に建てられた建物。
右の方は、復元された建物。


これから、タイムスリップして
当時の新しい知識や文化を見ていきたいと思います。


次回も
🌱 🌱 🌱  お楽しみに  🌱 🌱🌱
 
 
 
 
人生に潤いを、
✨キラキラ✨は心のエッセンス💕
 
 
 
 
 

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