2024年 7月
国内マイルひとり旅
〜 長崎・五島 〜
国指定史跡
出島和蘭商館
島に入って右に新石倉の
総合案内所・出島シアターがあり、
歴史の説明をしていました。
videoを見てから、見学するとわかりやすいですよと
お勧めされ、
ゆっくり見ました。
中はエアコンが効いていて
疲れた身体を癒します💕
イベント会場であると見えて、
グランドピアノがありました。
まさか、こんなとこにピアノがあるなんて😵
超違和感!!
でもそのミスマッチが面白い❣️
(お侍さんが解説しているvideoなのでね。)
江戸時代の格好をした人が
歩いていました、マスクしてね。
外国人も多く見かけました。
この辺りは復元地域です。
出島は
キリスト教の布教を行なっていたポルトガル人を
収容する目的で築造されました。
そして、25人の長崎の有力者たちによって完成しました。
ポルトガル船の来航が禁止されると
平戸にあったオランダ商館が出島に移転しました。
それから約218年間、
出島は蘭学、モノ、情報などが集まり、
海外の優れた知識は日本全国に広がっていきました。
幕末に、日本が開国すると
出島の役割は終わり、明治期から周辺の埋め立てが進み、
扇型をしていた出島は原型を失いました。
現在、19世紀初頭の出島へと復元が進められています。
(パンフレットより)
今日の写真は、
貿易品の数々。
江戸時代初期、オランダから輸入しているものは
生糸でした。
一方、日本から輸出していたものは、銀でした。
オランダ東インド会社の紋章
17-18世紀の大皿
江戸時代中期以降の輸入品は、
羅紗、ビロード、胡椒、佐藤、ガラス製品など。
ラクダ、ゾウ、ダチョウなどの珍しい動物も上陸しました。
輸出品は
銅、樟脳、陶磁器、漆製品など。
内側に花柄
西洋から、モノだけが入ってきたわけではありません。
出島には、西洋の学問「蘭学」や日時計などの技術、
珈琲、植物も入ってきました。
出島には、
オランダ人や使用人のインドネシア人がいて、
図には出島での生活の様子が書かれています。
西洋の食事の様子や
スポーツ、音楽、動物の様子も描かれています。
陶器類は割れるので
保存するのが大変です。
でも、いつの時代のものなのかを知る手掛かりになるので
大切に守っていきたいですね。
次回も
🌱 🌱 🌱 お楽しみに 🌱 🌱🌱
人生に潤いを、
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