そうなると必然的に写真は疎かになってしまう。
まあそれはそれで良いのだけど、なかなか綺麗な映像を残すのは難しい。
新しいスニーカーを買ってしまった。
前のやつは気に入っていたけどかなり踵の部分がすり減っていて、これはもうダメかなあと思っていたから。
使い倒すのも悪くないけど、新しいものはやはり良いですなあ。
秋を通り越してもう冬の装いであった。
いつの間にか枯葉が散っていて何だかんだでもう12月ではないか。
そんで上着でも買おうかなと思ったが、なかなか思ったものがなく結局食事をしてきただけであった。
この日は、僕も何度か撫でてあげてた親戚の猫が老衰で死んでしまったと朝から連絡があった。
捨て猫の時にはすでに五歳くらいでとのことでそこからさらに10年くらい飼われていた。
だから家猫としてはまずまず生きた方だったのだろう。
それと驚いたのが、俳優の日野正平さんの訃報であった。
テレビ番組で自転車の旅を見てたから、とても身近に感じていただけあって残念である。
ご冥福をお祈りします。
日野さんは昆虫が好きなのか、小さな街を自転車で走ってる時に、オケラを見つけた出した時はすげえなと思った。
普通はそんな小さなものは気づきもしないが、その眼力は大したものだ。
しかし、急に寒くなってきた。
さすがに布団も厚手のものを出した。
3日目は、奈良の東大寺へ。
やはり奈良の大仏は見ておかなければなと(昔、修学旅行で訪れているが記憶が曖昧だし)。
海外の観光客も多いが、鹿も至る所にいる。
東南アジア系の若い女性が「すいませーん、すいませーん」と叫んでいるのでどうしたのかと思ったが、なんと鹿を呼んでいたのであった。
知っている日本語の中でそれらしいものと思ったのだが、もちろんそれが日本の鹿であろうと言葉は通じない(まあ気持ちはわかるが)。
世界遺産である東大寺であるが、さらにこの鹿がいることでその集客力はさらに多くなるのだろう。
でも危ないからか、殆どの鹿の角は取られていた。
拝観料を払って境内に入ると大仏殿がどどーんと現れ、その巨大な木造の建物に圧倒されて感動する。
これは凄いな。
さらに中に入るとど真ん中に大仏様が鎮座する。
これは誰が見ても「おお!」と感嘆してしまう。
大きさもそうだけど、その両側にある菩薩様が金色でそれがまた真っ黒い大仏様を盛り立てているのだ。
残念ながら最初の大仏様は金色であったが、戦さやなんかで何回か燃えてしまい、今あるのは3代目くらいの大仏様とのことだ。
折角、平和のために苦労して建造したものなのに権力争いなんかで燃やしてしまって何やってんだよと思ってしまうが、まあ人間の歴史とはそんなものなのだ。
実際に目の当たりすると、少々不気味さというかおどろおどろしいものを感じる。
これは奈良の大仏に比べ屋内にあるので、天井や柱との対比で大きさを感じるし、頭の方は薄暗いのが影響している。
ただ、その中に優しさや有り難さも感じ取ることができ、一言で言うと畏怖の念を感じずにはいられなかった。
当時の物ではないにしても、とにかく文化を伝える古いものがこうして残っているのだから、これはやはり世界の遺産なのであろう。
外には謎の木像に人が集まっていた。
これもまた小さい子供が見たら泣き出しそうな不気味な物だが、どうも大陸から漂流した物らしい。
こんなものまで崇めるための対象物としていたのか、とにかく国を纏める為に人々の争いなどが起きぬよう仏様に縋りたい思いが強かったのだろう。
いずれにしても、この不気味な謎の木像もかなり古いものであるらしく、それに肖ろうと海外の人たちもみんな足などに触れていた。
しかしまあ、京都も奈良も神社仏閣が多いこと。
天気が悪くなければ吉野の方まで足を伸ばしたかったが、今回は結構行き当たりばったりの旅となってしまった。
流石にお寺巡りばかりだと「もう良いかな」とも思わなくも無いが、その歴史を知っているのと知らないとでは見方も変わるものなのである。
山岳地帯は静かで良かったので、また10年後くらいに訪れたいなと思った。
関西の旅では桜井市に泊まった。
初日、京都から車で走って夜中に宿に着いた。
宿は山の麓にあるので、ナビゲーションもうまい具合に設定されずに暗い山中を走る羽目になってしまった。
真っ暗な山道で、最初は野良猫が現れたと思ったら、次はそれよりも大きなものが山道を横切ったと思ったら、それは鹿であったので驚いた。
さらに、藪の中に小さな獣が逃げ込むのが見えたが、これは多分ハクビシンではなかろうか。
そんなこんなで山に囲まれた静かな場所であった。
2日目の朝はここから30分くらいの長谷寺へ向かった。
元々、このお寺に行くことが目当てであったので、一番行動できる中日に宇陀市などこの界隈を回ることにしたのだ。
車で走ると材木屋が多く散見されるが、桜井市は木の街を謳っているらしく林業が盛んな場所であるらしい。
そんな山の上に長谷寺はある。
前日の京都と比べると人も疎だし、本当に静かで心が休まる場所だ。
入山するには正門から階段を登らなくてはならないが屋根付きの階段がまた渋い。
山々に囲まれた境内はかなり古いものだけど、重要文化財なので美しく保たれている。
本堂には奈良時代からの10メートルの木造の十一面観音菩薩が鎮座してあった。
参拝者はそこでお参りをするのだけど、その金色の観音様を目の前にすると、やはり何か有り難みみたいなものを感じてしまう。
いくらかお金を払うとその足元に触ることができて『ご縁』を頂けるとか何とかあった。
最初は、そんな足元に触ってもなあと思ったが、ここを出る時にはその観音様からくる神秘的な魅力が、後からジワリジワリと静かに込み上げてきた。
1500年くらい前のものに造られたものだし(何回か再造されたみたいだが)、この先いつ来れるのかも分からないので、触っときゃ良かったのかなあと少し後悔までした。
ただし残念なのは、流石に間近で写真を撮ることは出来ないのでこればかりは仕方ないけど。
それでも、その古き建物がこうして残っているのは凄いなあと思し、ここから見る周りの山々も奈良時代の時とそう大して変わらないのかなとも思う。
そう考えると何とも浪漫を感じてしまうが、まあ実際にはその当時はそんな悠長なことは言ってられない時代でもあったのだろう。
やはり、ここに来て良かった。
正直、仏像などそれほど興味は無かったが、この木造の観音様の燻銀的な美しさや、数千年もの壮大さが感じられたのが良かった。
しかし、そんなものがこのあたりには沢山あり、歴史好きの人には堪らないだろうなと思ってしまう。
この十一面観音菩薩像なのだけど、当時一本の巨木から同じものを二体創り、その一体は本堂に安置しもう一体は願いを込めて海に流したそうだ。
数年後に神奈川県の海に漂流した観音像を発見し、それがきっかけでできたのが鎌倉の長谷寺とのことだとか。
鎌倉の長谷寺には前に行ったことがりその時は全くもって仏像なんて興味はなかったが、今は何だか歴史は面白いなあと思う。
奈良と鎌倉の観音像を見比べてみたくもなくは無いが、もちろんそんな趣旨で仏像を創ったわけではなく、やはりそこには平和の願いが込められてるのである。