Manabus Column

路地裏から尾根道を行く

夜散歩

2025-01-13 | Weblog
最近、動画を撮るのが面白い。
そうなると必然的に写真は疎かになってしまう。
まあそれはそれで良いのだけど、なかなか綺麗な映像を残すのは難しい。








新しいスニーカーを買ってしまった。
前のやつは気に入っていたけどかなり踵の部分がすり減っていて、これはもうダメかなあと思っていたから。
使い倒すのも悪くないけど、新しいものはやはり良いですなあ。





春の海

2025-01-05 | Weblog
2025年。
年が明けて今年の初詣は少し遠出をした。

湾岸線を南下して富津中央で降りて、まずば岩谷観音堂に寄ってみた。
午前中はキリリと空気が冷たいが、田舎の開放された空気感が気持ちが良い。








房総半島は意外と低山が多く、この祠群も奈良時代に彫られたと案内板に書いてあった。








真っ暗な小さな洞窟に入ると、左右の壁面には仏像などが彫られている。
岩を切り崩した寒暖なども無防備な感じで、これはなかなか冒険心をくすぐられて非常に面白かった。
しかも、その近くにはこれまた古い井戸ポンプがあったが、いつぐらいまで使われていたのかと思うとロマンあってなかなかよろしい。





そこから少し走ったところに東善寺というお寺があるが、そこへ行くためには細い隧道を通らなくてはならない。
バイカー達が自分のバイクを入れて写真を撮っていたが、ここも昔の人の手彫りで芸術の域に達している。





その先に東善寺があったが、地味な感じだけど少し海が見えるから展望としては悪くなかった。
周りは山なのでたくさんの野鳥も生息してるので心も休まる。





さらに国道127号線を南下すると崖観音の愛称で呼ばれている大福寺がある。

釣り納めとか初釣りなんかで房総半島にはよく釣りに行っていたが、その際に何度か目に入ったところだ。
船形山の中腹に観音堂があり崖観音と呼ばれているとのことで、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願する目的で造られたそうだ。
そういうことだから「今年も良い魚が釣れますように!」と小銭を投げ込む。








この辺りにも何度か釣りで来たことがあったがもちろんその時は興味なかったと思うが、それはやはり釣果しか見えてなかったのだろう。
ここからの展望は最高に良く、船形の街並みを見下ろせば東京湾がどーんと広がって気持ちの良い風景を望める。

空は晴れやかで風はなく穏やかで、こんな時に海辺に立つと魚なんて釣れそうにないなあと思ってしまった。
どうも正月らしさを感じないが、道の駅などの商業施設で流れている『春の海』を聴くと、ああ正月だなあと感じる。





ん?でも春の海ってもう少し波っ気があるような感じもしなくはないが。
そもそも、どうしてこの春の海が正月に流れる曲になったのだろうか?
まあ良いか。





しかしまあ、考えることはみんな同じなのか、帰りはすごい渋滞で辟易してしまったよ。




椎名町

2024-12-29 | Weblog
年末の大掃除は、今年は大規模修繕があったから外回りはパス。
その代わり床の拭き掃除と、恒例のステレオ装置のケーブル磨き。
これをやると腰が痛くなってくるが、やり終えた時のなんとも言えない至福な感じは悪くない。

冬場は釣りに出ないので運動不足になりがちだ。
ジョギングでも始めるかと思ったが、イマイチ気合いも入らない。
よし、それなら自転車で遠出をしようと思った。

その辺をぶらぶらするのも悪くないけど、今回の目的地は昭和な感じが残っている椎名町に決めた。
片道20キロくらいあるから運動にはちょうど良いかもしれない。

都心まで出てそこから山手通りまで北上する。
途中に坂道もあったりでなかなかの運動量であった。





椎名町に着いて自転車を駐輪場に停めて、駅前の南天という立ち食いそば屋で腹ごしらえ。
腹も空いていたしこれは文句なく美味しかった。
隣は不動産屋で、麺を啜りながら何気に家賃を見ると、風呂無し4畳半で2万4千円と格安物件。
うーむ、まだまだ古い木造アパートが残っているという事だ。





腹ごしらえをしたら、適当に歩いて町を散策。
近くに古そうな神社もあり寄ってみると井戸ポンプがあった。








小さな神社でも正月には参拝客がたくさん訪れるのだろう。
小さくても趣のある境内であった。

年の瀬のせいかどことなく長閑な感じもする。











帰りは遅くなってしまったが、やはり重たいギヤでペダルを漕ぎ続けていると膝と股が疲れてきた。
この日は結構な運動量であったので夜もよく眠れた。






女流作家

2024-12-26 | Weblog
あの暑い夏が恋しいほど寒い日が続く。
ああ、師走もあっという間だったなあ。

東京も今頃になって紅葉が赤く染まっていた。






そして、毎年暮れになると小さな川でカワセミが水面を飛んでいるのを発見する。
たぶん、川縁の草木が枯れて身を隠すのが難しいのか見つけやすいのかもしれない。




今年も数冊本を読んで、印象に残っているのが2冊ある。
どちらも女性の作家でとても面白かった。

まずは、桐野夏生の『メタボラ』。
記憶喪失の青年とその友人のジェイクの物語。
主人公の記憶を失った青年はおとなしい性格なのに対し、それと正反対でジェイクは明るく破天荒で対極的。
このジェイクの沖縄訛りが面白くて憎めないキャラクターが印象的であった。

続けて原田マハの『楽園のカンバス』。
アンリルソーを巡る話で、美術のことは分からないけどアンリルソーの実物の絵を見てみたくなった。
内容も面白く出来ていてなかなか良い本であった。
本を読むと興味のないものでも、読む事よって興味を持てるのは良いことだと思う。

今は日本の歴史の本を読んでいるが、同じような名前ばかりなので難しい。
来年になったらまた現代のを読もう。



幸せのインドカレー

2024-12-18 | Weblog
たまに近所のインドカレー屋さんに食べに行く。
ここの店はとても気に入っていて、食事はもちろん店内も居心地が良くなんと無く海外にいるような雰囲気だ。
日本のカレーも美味しいけど、焼きたてのナンに付けて食べるカレーも好きで、最後まで飽きずに美味しく頂ける。




隣の席にはインド(?)の大家族が食事をしていて、おじいちゃん、おばあちゃんとその孫まで美味しそうに食事をされていた。
おじいちゃんは右手だけ使ってナンを千切って食べていたから、さすがは本場は違うなあと。

そう言えば春先にもこの店に食べにきたのだけど、その時に忘れ物(落とし物)をしまった様で、小さいものでポケットに入れたつもりだが店に忘れたと思った。
急いで店に戻って探してみたが忘れ物は無く、店の方も心配してくれた。
歩いているときに道に落としたのかと、帰る道すがら探したがやはり無い。

諦めて家に帰ってみると、なんと探してたものがゴミ箱から出てきた。
知らない間にポケットからゴミだと思ってゴミ箱に放り込んでいたのである。
この時は見つかって良かったけどどんなに焦ったことか。

とまあそんな事もあったなあと思い出すけど、いずれにしても良い店なのである。




銀杏の葉

2024-12-09 | Weblog

12月に入って気温もグッと下がり急に寒くなってきた。

黄色くなった銀杏の葉が太陽に照らされてなかなか美しい。

 

 

葉が落ちると生命感が乏しくなるな。

 

 


Isn't It A Pity

2024-11-30 | Weblog

George Harrison - Isn't It A Pity (Take 27)


冬支度

2024-11-21 | Weblog

秋を通り越してもう冬の装いであった。

いつの間にか枯葉が散っていて何だかんだでもう12月ではないか。

そんで上着でも買おうかなと思ったが、なかなか思ったものがなく結局食事をしてきただけであった。

 

 

この日は、僕も何度か撫でてあげてた親戚の猫が老衰で死んでしまったと朝から連絡があった。

捨て猫の時にはすでに五歳くらいでとのことでそこからさらに10年くらい飼われていた。

だから家猫としてはまずまず生きた方だったのだろう。


それと驚いたのが、俳優の日野正平さんの訃報であった。

テレビ番組で自転車の旅を見てたから、とても身近に感じていただけあって残念である。

ご冥福をお祈りします。

 

日野さんは昆虫が好きなのか、小さな街を自転車で走ってる時に、オケラを見つけた出した時はすげえなと思った。

普通はそんな小さなものは気づきもしないが、その眼力は大したものだ。


しかし、急に寒くなってきた。

さすがに布団も厚手のものを出した。 



 

 


いざ東大寺へ

2024-11-13 | Weblog

3日目は、奈良の東大寺へ。

やはり奈良の大仏は見ておかなければなと(昔、修学旅行で訪れているが記憶が曖昧だし)。

 

 

海外の観光客も多いが、鹿も至る所にいる。

東南アジア系の若い女性が「すいませーん、すいませーん」と叫んでいるのでどうしたのかと思ったが、なんと鹿を呼んでいたのであった。

知っている日本語の中でそれらしいものと思ったのだが、もちろんそれが日本の鹿であろうと言葉は通じない(まあ気持ちはわかるが)。

世界遺産である東大寺であるが、さらにこの鹿がいることでその集客力はさらに多くなるのだろう。

でも危ないからか、殆どの鹿の角は取られていた。

 

 

拝観料を払って境内に入ると大仏殿がどどーんと現れ、その巨大な木造の建物に圧倒されて感動する。

これは凄いな。

さらに中に入るとど真ん中に大仏様が鎮座する。

 

 

これは誰が見ても「おお!」と感嘆してしまう。

大きさもそうだけど、その両側にある菩薩様が金色でそれがまた真っ黒い大仏様を盛り立てているのだ。

残念ながら最初の大仏様は金色であったが、戦さやなんかで何回か燃えてしまい、今あるのは3代目くらいの大仏様とのことだ。

折角、平和のために苦労して建造したものなのに権力争いなんかで燃やしてしまって何やってんだよと思ってしまうが、まあ人間の歴史とはそんなものなのだ。

 

 

実際に目の当たりすると、少々不気味さというかおどろおどろしいものを感じる。

これは奈良の大仏に比べ屋内にあるので、天井や柱との対比で大きさを感じるし、頭の方は薄暗いのが影響している。

ただ、その中に優しさや有り難さも感じ取ることができ、一言で言うと畏怖の念を感じずにはいられなかった。

当時の物ではないにしても、とにかく文化を伝える古いものがこうして残っているのだから、これはやはり世界の遺産なのであろう。

 

 

外には謎の木像に人が集まっていた。

これもまた小さい子供が見たら泣き出しそうな不気味な物だが、どうも大陸から漂流した物らしい。

こんなものまで崇めるための対象物としていたのか、とにかく国を纏める為に人々の争いなどが起きぬよう仏様に縋りたい思いが強かったのだろう。

いずれにしても、この不気味な謎の木像もかなり古いものであるらしく、それに肖ろうと海外の人たちもみんな足などに触れていた。

 

 

しかしまあ、京都も奈良も神社仏閣が多いこと。

天気が悪くなければ吉野の方まで足を伸ばしたかったが、今回は結構行き当たりばったりの旅となってしまった。

流石にお寺巡りばかりだと「もう良いかな」とも思わなくも無いが、その歴史を知っているのと知らないとでは見方も変わるものなのである。

山岳地帯は静かで良かったので、また10年後くらいに訪れたいなと思った。

 

 


奈良県の長谷寺

2024-11-08 | Weblog

関西の旅では桜井市に泊まった。

初日、京都から車で走って夜中に宿に着いた。

宿は山の麓にあるので、ナビゲーションもうまい具合に設定されずに暗い山中を走る羽目になってしまった。

真っ暗な山道で、最初は野良猫が現れたと思ったら、次はそれよりも大きなものが山道を横切ったと思ったら、それは鹿であったので驚いた。

さらに、藪の中に小さな獣が逃げ込むのが見えたが、これは多分ハクビシンではなかろうか。

そんなこんなで山に囲まれた静かな場所であった。

 

 

2日目の朝はここから30分くらいの長谷寺へ向かった。

元々、このお寺に行くことが目当てであったので、一番行動できる中日に宇陀市などこの界隈を回ることにしたのだ。

車で走ると材木屋が多く散見されるが、桜井市は木の街を謳っているらしく林業が盛んな場所であるらしい。

そんな山の上に長谷寺はある。

 

 

前日の京都と比べると人も疎だし、本当に静かで心が休まる場所だ。

入山するには正門から階段を登らなくてはならないが屋根付きの階段がまた渋い。

 

 

 

山々に囲まれた境内はかなり古いものだけど、重要文化財なので美しく保たれている。

 

 

本堂には奈良時代からの10メートルの木造の十一面観音菩薩が鎮座してあった。

参拝者はそこでお参りをするのだけど、その金色の観音様を目の前にすると、やはり何か有り難みみたいなものを感じてしまう。

いくらかお金を払うとその足元に触ることができて『ご縁』を頂けるとか何とかあった。

最初は、そんな足元に触ってもなあと思ったが、ここを出る時にはその観音様からくる神秘的な魅力が、後からジワリジワリと静かに込み上げてきた。

1500年くらい前のものに造られたものだし(何回か再造されたみたいだが)、この先いつ来れるのかも分からないので、触っときゃ良かったのかなあと少し後悔までした。

ただし残念なのは、流石に間近で写真を撮ることは出来ないのでこればかりは仕方ないけど。

 

 

 

それでも、その古き建物がこうして残っているのは凄いなあと思し、ここから見る周りの山々も奈良時代の時とそう大して変わらないのかなとも思う。

そう考えると何とも浪漫を感じてしまうが、まあ実際にはその当時はそんな悠長なことは言ってられない時代でもあったのだろう。

 

 

やはり、ここに来て良かった。

正直、仏像などそれほど興味は無かったが、この木造の観音様の燻銀的な美しさや、数千年もの壮大さが感じられたのが良かった。

しかし、そんなものがこのあたりには沢山あり、歴史好きの人には堪らないだろうなと思ってしまう。

 

この十一面観音菩薩像なのだけど、当時一本の巨木から同じものを二体創り、その一体は本堂に安置しもう一体は願いを込めて海に流したそうだ。

数年後に神奈川県の海に漂流した観音像を発見し、それがきっかけでできたのが鎌倉の長谷寺とのことだとか。

鎌倉の長谷寺には前に行ったことがりその時は全くもって仏像なんて興味はなかったが、今は何だか歴史は面白いなあと思う。

奈良と鎌倉の観音像を見比べてみたくもなくは無いが、もちろんそんな趣旨で仏像を創ったわけではなく、やはりそこには平和の願いが込められてるのである。