百田尚樹の『永遠のゼロ』という本がある。
タイトルだけでは一体何だろう?と思って興味本位で手に取ってしまったが、これは太平洋戦争の話だった。
ひょんな事から主人公の健太郎は、祖父の事を調べるようになり、生存されている戦友達に祖父の事を訪ねて行く。
祖父の宮部はゼロ戦を天才的に操る戦闘機乗りだった。
妻が居て、娘も生まれたばかりなので、彼にとって”死ぬ”ということは許されるものでは無かった。
だが彼は、他の戦闘機乗り達に「生きろ」と訴えかける。
当時は御国のために戦っているのであって、生き延びるなどということはつまり逃げていると見なされた。
何人かの宮部を知っていた戦友達から話を聞くごとに、宮部の真摯で柔順な人間性が浮き彫りになってくる。
それは彼が、命の大切さや、人を思う心と言った美しい心の持ち主で、対話を繰り返す度にそれがひしひしと伝わってくる。
しかし、「何があろうとも自分は生きて帰ってくる」と言った彼なのだが、それにも拘らずなぜ特攻隊に志願して命を落としたのか。
その辺りが、謎として主人公の健太郎を惑わせるのだが。
物語の殆どが、戦友達から語られる戦争体験なのだが、その辺りは戦争は実際にあったものだからノンフィクションに近いのだろう。
ゼロ戦を通して、戦争の恐ろしさや、悲惨さ、愚かさを感じることができる。
いや、こればかりは実際にパイロットだった人でないと分からないのだろう。
数100機もいる敵戦闘機や、巨大な砲台を備えた軍艦に挑んでいくのは、想像すら絶する。
物語は、後半でどんでん返しがあり、読んでる者の心を掴んで離さない。
そして、最後読み終わった時、涙が止まらなくて困ってしまった。
宮部と言う人間はもちろんフィクションの中の人物だが、本当にどうにかしてあげたい気持ちでいっぱいだった。
それが戦争というもので、わずか65、6年前にはそう言った悲惨な出来ごとが実際にあったのだ。
最近読んだ本の中では、一番心に残る美しい作品だった。
さて、タイムリーということで先日、靖国神社に行ってきた。
遊就館には、歴史の紹介や、その当時の武器(レプリカや模型も多い)、資料などが展示したある。
零戦52型や、桜花、爆撃機なども展示してあり、乗りこみ口などを眺めるとちょっと切なくなって来る。
夕方くらいに行ったので、最後の方には”蛍の光”が流れていて、肝心要の所はあまり見れないのが残念だった(お土産コーナーも見たかったなあ)。
矛盾しているが、武器は恐ろしい半面、美しさも兼ね備えている。
特に、日本刀は芸術品と言っても言い過ぎではない位で、いつの時代にも守護として位置づけられた。
それに、昔の戦艦や戦闘機にある種の憧れを感じるのは、それらが時に歴史を動かしていたからだろう。
歴史が動く時には必ず争いが起きている。
ある意味日本の歴史は、戦争の歴史であったのかもしれない。
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