シルビア・クリステルという名が突如世界を旋風したのは、もはや言うまでもなく…映画「エマニエル夫人」の成功によるものだが、思えば…もう40年以上も前の作品になるのだ…それは今みても決して色褪せることはなく、シルビアの美しさは普遍的な美を見るものに与えてくれた…。
それは、当時既に世界のトップモデルとして…時代の最先端で活躍し、ファッションリーダー的な神話(センス)に彩られていたからだ。その新鮮さは…いつの時代にも必要とされた模範的な変わらぬ美しさの標榜であったからに他ならない。
オランダ生まれの…この恋多き乙女は、当時すでに私生活ではユーゴ・クランス(作家)と愛人関係であり…「エマニエル夫人」のオファーをしぶるシルビアに出るべきだと推薦してくれた人物だ。
この一言がなければ…こんにちの鮮やかなシルビア・エマニエルのスターとしての誕生はなかったかもしれない。
ユーゴとの出会いは…シルビアの生き方を大きく変えた。この知的で物腰の柔らかい23歳差の父性的なユーゴの影響は大きい。
二人が出会う前の彼女といえば…毎晩毎夜明かしで酒と遊びに耽溺し、遊戯絡みの日々であったという。
シルビアは…そんな動物的な快楽の日々を振り返りながら、救いの主はユーゴでしたと、しきりに強調していた。
しかし…正式な結婚に至らぬまま…ユーゴのこどもを産んだという、ゴシップ。また、一夜にして人気女優となったプレッシャーのなかで…彼女は本当に女の幸福を手にしただろうか…(後篇に続く)。
メモ
「ぼくの採点表」で知られる双葉十三郎氏は「エマニエル夫人」の評価は…☆☆★★★(水準以下だが多少の興味)という割と低い評価だが、それはどうやら映倫のボカシ対策に抗議してでの評価らしい。
「映画になった名著」木本至著によると、「エマニエル夫人」は、ヘアの露出場面が多く、税関から150ヵ所の修正を命じられ、この難問解決のまめ光学処理(オブティカル)に苦心したが、この映画のお蔭でその技術は飛躍的に進歩したとの事…。
エマニエル・アルサンの原作本も読んでみたが、映画とは内容や展開も違い、映画には映画ならではの脚色の旨味がある…。
作家の虫明亜呂無氏は、女性観客が、あの映画を、ともかく見ていられたのは、一にもニにも、クリステルに清純な少女の残像があったからである。女性は幾歳になっても少女の頃の女性の魅力を復活させたいという願望を捨て去ることができない(本文より)
もし、彼女がいわゆるポルノ的な女優だったら、第1作「エマニエル夫人」は、あれ程の評判にはならなかったと思われる。すくなくとも、女性観客を吸引できなかったであろう、と、想像される(本文より)