とても残念な訃報です。フレーベルOBの多くが大変お世話になった、元合唱団担当の渡辺肜子さんが、3月9日12時45分に永眠されました。享年65才でした。
渡辺さんは1975年頃から合唱団担当者として着任され、四半世紀もの間、子供たちのお世話係や合唱団運営の裏方として、なくてはならない存在としてご活躍をされました。しかし、2002年8月にご自宅でクモ膜下出血を起こし、都内の病院で手術や入院を経たのち、郷里の新潟県阿賀野市の病院に移られ、先日まで入院をされていました。
ご葬儀は本日12日(金)に、近親者のみで、ご実家にて執り行われるそうです。OB会では妹さんともご相談の上、葬儀には太原会長名にて弔電を打つのみにとどめました。
OB会では2003年にOB通信でお見舞い金を募る活動を行い、2005年には太原会長が新潟の病院までお見舞いに伺いました。しかしその後はお見舞いをしていなかったため、昨年度の定演後のOB懇親の席で、渡辺さんのお見舞いを兼ねて新潟少年合唱団の定演に行こう、という話しも出ていたのですが、実現できなかったのが今となっては残念でなりません。
OBの一部から「渡辺さんの思い出を語る追悼会」を有志でやりましょう、という話しも出ており、今後何らかの形で実現したいと考えております。
渡辺さんには本当にお世話になりました。少し思い出しただけでも、いろいろなことが思い起こされます。本当にありがとうございました。
謹んで渡辺さんのご冥福をお祈り申し上げます。
渡辺さんは1975年頃から合唱団担当者として着任され、四半世紀もの間、子供たちのお世話係や合唱団運営の裏方として、なくてはならない存在としてご活躍をされました。しかし、2002年8月にご自宅でクモ膜下出血を起こし、都内の病院で手術や入院を経たのち、郷里の新潟県阿賀野市の病院に移られ、先日まで入院をされていました。
ご葬儀は本日12日(金)に、近親者のみで、ご実家にて執り行われるそうです。OB会では妹さんともご相談の上、葬儀には太原会長名にて弔電を打つのみにとどめました。
OB会では2003年にOB通信でお見舞い金を募る活動を行い、2005年には太原会長が新潟の病院までお見舞いに伺いました。しかしその後はお見舞いをしていなかったため、昨年度の定演後のOB懇親の席で、渡辺さんのお見舞いを兼ねて新潟少年合唱団の定演に行こう、という話しも出ていたのですが、実現できなかったのが今となっては残念でなりません。
OBの一部から「渡辺さんの思い出を語る追悼会」を有志でやりましょう、という話しも出ており、今後何らかの形で実現したいと考えております。
渡辺さんには本当にお世話になりました。少し思い出しただけでも、いろいろなことが思い起こされます。本当にありがとうございました。
謹んで渡辺さんのご冥福をお祈り申し上げます。