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TV-CMおよびTVドキュメンタリー番組のディレクター & カメラマン

エコールドパリと女性たち 1

2020年05月29日 | ヨーロッパ

藤田 嗣治 ふじた つぐはる
(1886年ー1968年)
東京生まれの画家。
1913年に渡仏、
モンパルナスで暮らし始める。



エコールドパリ を代表するひとりです。



彼が得意としたのは女性と、



猫 ・・・
どちらも自身の大好きなもの ・・・


(藤田とアリス・プラン)
さて、モンパルナスを、
そして藤田嗣治を語る上で
欠かせないひとりの女性 ・・・



Alice Prin
アリス・プラン (1901年ー1953年)
ブルゴーニュ地方 の田舎町で
私生児として生まれる。


(20世紀初頭のモンパルナス)
その頃の地方の恵まれない
多くの少女たちと同様、
アリスは12歳の時、
母親が働いていたパリへ ・・・

注: 彼女の行動は、
   フランス映画 愛と哀しみのボレロ
   を思い起こさせます。



これは、
1922年 マン・レイ が撮ったアリスです。



同じくマン・レイが1924年に撮った作品。



元来上昇志向が強かったアリスは、
ウェイトレスやショーガールなどを経て、
絵や写真の
トップモデルに上り詰めました。



こちらはアリスを描いた
藤田嗣治の代表作
『ジュイ布のある裸婦』 (1922年)



そして、これは
モイズ・キスリング が描いたアリス。
『赤いセーターと青いスカーフの
 モンパルナスのキキ』 (1925年)



ミューズとして
エコールドパリを輝かせた
彼女のニックネームは "Kiki キキ"



そう、
"Kiki de Montparnasse"
『モンパルナスのキキ』


(カフェにて、藤田嗣治たちと)
全盛の頃には 『モンパルナスの女王』
とも呼ばれた彼女ですが、
愛欲にまみれ
酒と麻薬に溺れた晩年でした。



52年の生涯 ・・・



藤田嗣治は、
葬送に臨席した数少ない仲間の
ひとりだったそうです。

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