嵯峨野 ・・・
秋にはこんな風情を見せる 落柿舎 (らくしゃ ) ・・・
(5月13日のブログ参照 )
向井 去来 (むかい きょらい 1651年ー1704年 )
肥前国 (ひぜんのくに 現長崎県 ) の生まれ。
儒学者であり名医の家系に生まれた向井去来は、
京で武士となるが、20代で隠棲、俳人として生きる。
『蕉門十哲 (しょうもん じってつ ) 』 のひとり。
注: 蕉門十哲とは、
松尾芭蕉の弟子の中で特に優れた10人を指す。
中でも向井去来は、
芭蕉の最も高い評価を受けていたといわれる。
向井去来が嵯峨野に建てた草庵が落柿舎です。
(現在の建物は再建されたもの )
1970年代に女性フォークデュオがヒットさせた
『嵯峨野さやさや 』 に落柿舎が歌われています。
(5月9日のブログ参照 )
♪ 雨の落柿舎 たんぼ道 ♪
落柿舎という名前には、
おもしろい逸話が伝えられています。
庭に生っていた
たくさんの柿の実を行商人に売る約束をした夜、
強風が吹きすべての柿の実が地に落ちたそうです。
売られまいとする柿に愛惜を感じたのか、
向井去来は、この庵を 『落柿舎 』 と名付けました。
玄関の傘と蓑は、主の在庵を知らせるもの ・・・
向井去来の 『粋 』 が窺えます。
師である松尾芭蕉 (1644年ー1694年 ) は、
3度この庵を訪ねています。
元禄四年 (1691年 ) 、
2度目の訪庵の際、芭蕉は約2週間ここに滞在 ・・・
その間の句作が後の 『嵯峨日記 』 となります。
庭石にはその時の一句が刻まれています。
『五月雨や色紙へぎたる壁の色 』
(嵯峨日記 最尾の句 )
芭蕉のこの時の滞在は4月18日から5月4日まで ・・・
庵を去る時期が近づいた5月上旬、
壁に貼られた句の色紙を へぎたる = はぎとる 時の
寂しさが読まれているように思います。
(公式ウェブサイトより写真借用 )
落柿舎には、多くの俳句愛好者が訪れます。
庵内では、
適宜句会が催されています。
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