JFK-World 世界の撮影・取材地トピック

Freelance Film Director
TV-CMおよびTVドキュメンタリー番組のディレクター & カメラマン

俳人が集う草庵

2015年05月14日 | 京都

嵯峨野 ・・・
秋にはこんな風情を見せる 落柿舎 (らくしゃ ) ・・・
(5月13日のブログ参照 )



向井 去来 (むかい きょらい 1651年ー1704年 )
肥前国 (ひぜんのくに 現長崎県 ) の生まれ。
儒学者であり名医の家系に生まれた向井去来は、
京で武士となるが、20代で隠棲、俳人として生きる。
『蕉門十哲 (しょうもん じってつ ) 』 のひとり。

注: 蕉門十哲とは、
   松尾芭蕉の弟子の中で特に優れた10人を指す。
   中でも向井去来は、
   芭蕉の最も高い評価を受けていたといわれる。



向井去来が嵯峨野に建てた草庵が落柿舎です。
(現在の建物は再建されたもの )



1970年代に女性フォークデュオがヒットさせた
『嵯峨野さやさや 』 に落柿舎が歌われています。
(5月9日のブログ参照 )

♪ 雨の落柿舎 たんぼ道 ♪



落柿舎という名前には、
おもしろい逸話が伝えられています。



庭に生っていた
たくさんの柿の実を行商人に売る約束をした夜、
強風が吹きすべての柿の実が地に落ちたそうです。
売られまいとする柿に愛惜を感じたのか、
向井去来は、この庵を 『落柿舎 』 と名付けました。



玄関の傘と蓑は、主の在庵を知らせるもの ・・・
向井去来の 『粋 』 が窺えます。



師である松尾芭蕉 (1644年ー1694年 ) は、
3度この庵を訪ねています。



元禄四年 (1691年 ) 、
2度目の訪庵の際、芭蕉は約2週間ここに滞在 ・・・
その間の句作が後の 『嵯峨日記 』 となります。



庭石にはその時の一句が刻まれています。

『五月雨や色紙へぎたる壁の色 』
(嵯峨日記 最尾の句 )



芭蕉のこの時の滞在は4月18日から5月4日まで ・・・
庵を去る時期が近づいた5月上旬、
壁に貼られた句の色紙を へぎたる = はぎとる 時の
寂しさが読まれているように思います。


(公式ウェブサイトより写真借用 )
落柿舎には、多くの俳句愛好者が訪れます。



庵内では、



適宜句会が催されています。

jfk-world
































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