Hanga Roa
ハンガロア
イースター島の中心の村 ・・
そして、唯一の村です。
全人口のおよそ 90パーセントがここに暮らしています。
(12月 7日のブログ参照 )
19世紀前半の記録が乏しく、
「フリ モアイ 」 の結末はよくわかっていません。
(12月 10日、11日のブログ参照 )
小さな島 = イースター島にも
18世紀後半には 200以上の村落が存在したといわれています。
(人口は推定 1万人以上 )
1770年頃に始まって、およそ 50年近く続いたと考えられている
「フリ モアイ 」 は、島の人口を著しく減少させたようです。
1860年代にこの島を訪れたキリスト教宣教師は、
その時の島の人口は
およそ 1000人 ほどであったと報告しています。
その後、
ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病の蔓延や奴隷狩りにより、
島の人口は およそ 100人にまで減少しました。
1888年にイースター島はチリ共和国領となりました。
ただちに、スコットランドの羊毛会社がチリ政府から
イースター島の土地を借り受け羊牧場をつくりました。
その際、島全体に散らばって暮らして人々を
「ハンガロア 」 に集めました。
(羊の放牧地を確保するため )
以来、 1953年まで、
スコットランドの羊毛会社はハンガロアの周りをフェンスで囲み、
島民にその中で暮らすことを強要しました。
現在、ほとんどの島民がハンガロアに暮らしている
理由はそこにあります。
1966年には、島民にチリ共和国の市民権が与えられました。
ハンガロアは、イースター島では数少ない船が出せる場所です。
ここは、漁港でもあります。
島民の暮らしは、牧畜と農業が中心です。
島民は、余った野菜や果物を販売して現金収入に換えています。
最も大きな現金収入源は、観光客への土産物の販売です。
注:最近はホテルやレストランで働く機会が増えている
土産物の中心は ・・ やはりモアイです。
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