天王寺公園 の
色鮮やかな 和気橋 (わけばし) ・・・
注: 遠くに見える高いビルは
あべのハルカス
(岡山県 和気神社 ウィキより)
その名前は、奈良時代から
平安時代にかけて活躍した貴族
和気 清麻呂 (わけのきよまろ)
にちなんでいます。
奈良時代の後期、
和気 清麻呂が試みたのは、
ここに運河をつくることだったといわれています。
これは、古代の大阪の様子です。
薄いブルーはいまは陸地ですが、
かつては四天王寺のあたりまで海でした。
(向かって左が茶臼山)
つまり、茶臼山のすぐそばまで ・・・
(向かって左が大阪湾の方向)
大和川に支流をつくり大阪湾につなぐ ・・・
その発想は無理からぬことだと思います。
さて、
5世紀頃、
古墳だったと伝えられる茶臼山 ・・・
ここはまた、歴史を大きく変えた
できごとの舞台となりました。
(三角点には葵の紋)
(矢印は大阪城)
1614年、
大坂冬の陣では徳川家康が ・・・
翌年、大坂夏の陣では、
真田幸村がここに本陣を構えました。
真田幸村は、49歳という
武将としては遅い最期でした。
すぐ近くには彼の終焉の地が ・・・
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