
建物の2階には 直木三十五記念館 ・・・

『からほり 複合文化施設』 萌 ・・・

すぐ横は公園です。

桃園 (とうえん) 公園 ・・・

江戸時代、ここは桃畑だったとか。
(近くには桃谷という地名もある)

公園側から見ると、

「萌」 の建物が
元工場兼住宅であったことが
よくわかります。

さて、
春には桜の花を咲かせるこの公園は、

1873年 (明治6年) から1991年まで
小学校でした。

直木三十五もここに通っていました。

(小学校時代の写真)
戦後、ベビーブームの頃、

校庭は、

子どもたちであふれていたそうです。

そんな多くの子どもたちの
健やかな成長を願って、

ここかしこに お地蔵さん を祀るため
祠が置かれました。

古くからここに暮らす人々の間には、
かつての地名がいまも息づいています。

東賑町 (ひがしにぎわいちょう)

空堀商店街 には、

ここが参道でもあったことを
窺わせる痕跡があります。

人々が、神仏に寄り添いながら
暮らしていた時代の忘れ形見です。
JFK-World
4月4日のブログで 「そら」 を紹介しています。
以前に空堀商店街から直木三十五記念館へ行く坂道に
あるギャラリー「そら」でしばらく働いていました。
とてもこのあたり懐かしいです。