「セロ アスール 」 のビーチから少し離れた海岸に
ひっそりと立つモニュメント ・・
(12月27日のブログ参照 )
石碑には、 『100年 』 という日本語が刻まれています。
海に面した古い雑貨店に掲げられている1枚の写真 ・・
『1899年4月3日 日本からの移民 セロ アスール港に上陸 』
と説明されています。
写真には、
沖に停泊する移民船 『佐倉丸 』 (白矢印 ) と、
艀 (はしけ ) を使って上陸する
たくさんの日本人 (黒矢印 ) が写っています。
また、写真には機関車も写っています。
地元の人の話によると、
上陸した日本人はこの機関車でリマに向かったそうです。
注: 『佐倉丸 』 は日本からペルーへの最初の移民船。
790人を乗せ横浜港からペルーに向かった。
さらに、雑貨店の壁には、
ペルー日系人協会から店主に贈られた感謝状 ・・
最初の日本人移民上陸から100年を記念して、
1999年に贈られたものです。
雑貨店の人の話によると、
リマの 『カヤオ港 』 を目指していた 『佐倉丸 』 は、
海流の影響か何かでセロ アスールに着いたそうです。
その時、雑貨店の主人が中心となって、
日本人移民を温かく迎え入れたそうです。
(桟橋の向こうがセロ アスールの賑やかなビーチ )
朽ちた杭が、
かつてこの場所が漁港として繁栄したことを物語っています。
日本に残る多くの資料では、
『佐倉丸 』 はリマの 『カヤオ港 』 に着いたとされています。
しかし、実際には、
『佐倉丸 』 はセロ アスールに到着していました。
夢の新天地を目指した790人の日本人にとっては、
到着した場所がカヤオ港であったか
セロ アスール港であったか ・・
心理的には大差がなかったように思います。
彼らの心に宿ったものは、
期待以上に多くの不安を抱えていた日本人を
温かく迎えてくれたセロ アスールの人々に対する
『ありがたい 』 という気持ちだけだったでしょう。
現在、ペルーに暮らす日系人の数は公称8万人 ・・
実際の数はその倍以上といわれています。
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