
六道珍皇寺への参道 松原通 ・・・
『六道の辻 (この世とあの世の境界 ) 』 の石碑 ・・・
(7月26日のブログ参照 )

轆轤町 (ろくろちょう ) という一風変わった地名 ・・・
元は 髑髏町 (どくろちょう ) という地名でした。
このあたりは葬送地であり、
人骨が散乱していたことから付いた名前ですが、
あまりにも不気味なので 『髑髏 → 轆轤 』 となった
といわれています。

ここに、不思議な名前の飴を売る店があります。

「幽霊子育飴 (ゆうれいこそだてあめ ) 」

1599年、関が原の戦いの前年、
身ごもったひとりの女性がこのあたりに葬送されました。
注: 古来、京の葬送とは、高貴な人物を除いて、
風葬つまり野ざらしだった。
その後、夜な夜な、
この店に飴を買いに来る女性が現れました。

幽霊となった女性が、
飴で子どもの命を救ったという言い伝えです。
注: 母親の愛情の深さを教えるものとして、
全国に同様の逸話が伝承されている。
落語のネタにも。

以来、飴は 「幽霊子育飴 」 と呼ばれるようになりました。

店主に取材したところによると、
その子どもは成長し、
仁和寺の近くにある立本寺 (りゅうほんじ ) で、
日審上人 (にっしんしょうにん ) という
立派な僧侶になったそうです。
(立本寺のウェブサイトには日審上人について言及あり )
注: ウィキペディアなどでは、
その子どもは六道珍皇寺の僧侶となった
と書かれているが ・・・

(店内の様子 )
母親の幽霊の話はさておき、
日審上人は、実際にこのあたりで生まれた
不幸な子どもだったのかも知れません。

有名人の色紙の中に古い写真が飾ってあります。

幽霊が (木の葉の ) お金を入れていた木箱 (上 ) と、
実際に飴づくりに使っていた桶 (下 ) です。

創業450年 ・・・
麦芽糖と水だけつくる日本一古い飴 ・・・
『みなとや 』 という屋号は、
創業者が福井県敦賀の出身だったから ・・・
と店主は話してくださいました。
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